あの世も幽霊も、その他いろいろはあるんだもん。
自分が理解出来ないからって、ひどい事言うなよ。
no.5100 記入なし (07/09/02 19:37)
あの世も幽霊も、その他いろいろは無いんだもん。
自分が理解出来ないからって、ひどい事言うなよ。
no.5101 下っ端公務員 (07/09/02 19:39)
>5101
おちょくるな!
真似すんな!
あんたはいっつもそうだ!
だまされないぞ。
no.5102 記入なし (07/09/02 19:43)
>5102さん
ネタレスじゃなかったの?
no.5103 下っ端公務員 (07/09/02 19:45)
>5103
ごめん。
話せば長くなる。
ネタと思っていいよ。
no.5104 記入なし (07/09/02 19:47)
小学生でも神とあの世は存在しないと確信している。
no.5105 記入なし (07/09/02 20:01)
>no.5105
この前問題になってたじゃん。
よみがえりがあると思ってる小学生が結構いるとか。
no.5106 記入なし (07/09/02 20:04)
>5106
いったん心臓停止して又再びよみがえる事を言ってんじゃないの?
no.5107 記入なし (07/09/02 20:16)
生まれ変わりや前世を扱ったマンガがあるから、
その影響を受けている可能性があるな。
no.5108 下っ端公務員 (07/09/02 20:19)
RPGの影響も受けている可能性がある。
no.5109 記入なし (07/09/02 20:21)
しかし、太郎さん、放浪者さん、K−2さんなんかは本当にあの世を100%確信しているのかなあ?
no.5110 記入なし (07/09/02 20:25)
本の影響を受けているからw
no.5111 下っ端公務員 (07/09/02 20:26)
>5111 ヒランヤに目を向けなさい!
no.5112 記入なし (07/09/02 20:27)
イランヤ!
no.5113 記入なし (07/09/02 20:31)
>5111
それって洗脳されているということじゃん。
no.5114 記入なし (07/09/02 20:33)
>5111
彼等と小学生どちらの方が影響受けやすいかなあ?
no.5115 記入なし (07/09/02 20:35)
信じるものは救われる かな。
no.5116 記入なし (07/09/02 20:36)
この世があれば、あの世もある。
no.5117 記入なし (07/09/03 04:57)
常識に考えたらあの世なんて絶対あるはず無い。
no.5118 記入なし (07/09/03 05:56)
総ての人が洗脳されているのです。
生まれて、両親の躾、教育、社会環境でその考えを刷り込まれてきているのです。
「常識」とはいったいどのようなものなのでしょうか?
所属する社会の規律ではないでしょうか。要する「心構え」みたいなものです。社会環境が変わると「常識」も変わります。
何を信じる信じないは各自の自由なのですよ。
反ロ同盟のサイトより引用
我々は「自由・平等・博愛」という言葉を大衆に教え込んだ最初の民族である。
今日に至るまで、この言葉は愚かな人々によって繰り返されてきた。
ゴイムは、賢者であると自称する者さえ、難解さゆえにこの言葉を理解できず、その言葉の意味とその相互関係の対立に気づくことさえない。
これは我々の旗を掲げる軍隊を我々の指示と統制のもとに置く言葉である。
「自由・平等・博愛」のための場など自然界に存在しない。
ゴイムの自然発生的で世襲的な貴族社会の廃墟の上に、我々は金による貴族社会をつくりあげた。それは我々の拠りどころ、すなわち富を参加資格とする貴族社会である。
no.5119 記入なし (07/09/03 06:38)
下っ端公務員だってすべての知識(雑学)はどっかで調べたことの
鵜呑み、受け売り、言ってみりゃ洗脳と同じなのだよ。
エセ知識人の・・・
no.5120 記入なし (07/09/03 08:19)
下っ端は屁理屈お化けだよ!
no.5121 記入なし (07/09/03 10:47)
>5121 まあそんなもんだな。あれじゃ嫁は来ないな。
しかしよくあれだけくだらん知識を仕入れたものだ。
no.5122 記入なし (07/09/03 10:59)
いい事に使えば感謝されるのにね。
もったいない(^^)
no.5123 5121 (07/09/03 11:07)
何事も価値あるものは困難がつきまとうものです。霊的褒章が簡単に手に入るとしたら、それは手に入れる価値はないことになりましょう。
no.5124 記入なし (07/09/03 15:26)
Q 心はどこにあるの?
A 心をうみだしているのは、脳の働きです。びっくりして心臓がどきどきしたりすることから、心は胸にある、とする考えも昔はありました。しかし、心の状態に応じて、心臓が打つ早さを変えるのは、もとをただせば脳の働きです。
no.5125 記入なし (07/09/03 16:55)
宇宙の本質は霊的な知性・・・
その本質が「神」だと思う
no.5126 記入なし (07/09/03 19:54)
>5126 同感です。
>5125 異議有り。心はハ−トにして(笑)ハ−ドに非ず(霊的)ソフトなり。
no.5127 記入なし (07/09/03 22:39)
この世は悪人中心に回っていて、善人はひっそりとしています。では、あの世でも同様なのですか?
no.5128 記入なし (07/09/04 08:46)
死後体験って具体的にどんな体験だったんですか?
no.5129 記入なし (07/09/04 08:49)
>5128 あの世は大きく分けて霊界と天界と地獄界に分けられます。霊界と天界には悪はありませんけど、地獄界は悪と苦しみに満ちた世界です。この世は悪が栄えていますけど、金、金、金で腐っている資本主義は崩壊して大混乱をへて愛と共生の時代が来るでしょう。
資本主義が崩壊して愛と共生の時代がきます(3)
http://musyoku.com/bbs/view.php/1180213587/no.5130 太郎 (07/09/04 09:03)
早くして。。。
でないとこの世からおさらばしてしまう。
no.5131 記入なし (07/09/04 09:34)
資本主義の崩壊? あと二百年はかかるだろう。
no.5132 記入なし (07/09/04 10:05)
徳の高い人って本当にいるの?
no.5133 記入なし (07/09/04 11:37)
死後の世界に天国、地獄がある事を確信していると小学生に馬鹿にされるよ。
no.5134 記入なし (07/09/04 11:41)
小学生は子供で真理を理解できていないのだから馬鹿にされたとしても
気にならんw
no.5135 記入なし (07/09/04 11:50)
>小学生に馬鹿にされる・・・
何故そのような対象を持ち出すのですか?
子供は素直ですから、説明すると理解してくれます。理解できないのは大人です。社会の常識なるものに洗脳されているのではないですか?
この議論でこのような話題(小学生)を持ち出すのは、ちょっと違うと思うけど。
「御神」や霊界が存在すると言う知識が広まる事がそんなに都合が悪いのですか?
no.5136 記入なし (07/09/04 12:10)
>5136さん 気になさらずに
そんなこと言っているのが小学生の霊的レベルなのです。
no.5137 記入なし (07/09/04 12:47)
小学生の時
「あの世に天国地獄があると」
同級生に言ったら
「あるはずねーよ」
と馬鹿にされた。
no.5138 記入なし (07/09/04 12:57)
つまり、オウムのインチキ宗教が小学生でも騙されないのと同様に、あの世に天国地獄が無いのも小学生でもすぐ分かる。
no.5139 記入なし (07/09/04 13:00)
小学生のときは神秘的なことよりも楽しい事や現実社会にばかり
目を向けるから当然ジャン。
no.5140 記入なし (07/09/04 13:04)
5138〜5140さんのレス内容に日本のおかれた問題点があると考えます。
昔の日本では、ご先祖様の墓参りとか、八百万の神々に守られた日本の国ということが常識でした。しかし、戦後の教育内容にて、物質主義、科学万能主義、利己主義が蔓延しているのです。
今の子供たちは核家族の中で育ち、貨幣経済ということが理解されていますから、まずお金中心に生活をしています。そして、多くのお金を稼ぐために、塾に通って勉強しています。そのような子供が大人になって社会を形成していくのです。そのような大人が子供を作り教育して、社会に還元しているのです。
そして今の社会の現状があるのです。
no.5141 記入なし (07/09/04 13:11)
そんな作り話小学生だって分かるんだよ!神秘の世界に行きたければ覚醒剤でも吸いな!
no.5142 記入なし (07/09/04 13:14)
どうして小学生のうちから塾へ行かせるのかなあ!
no.5143 記入なし (07/09/04 13:17)
>5141 さん 相手にしないことですよ。
この子供たちはあなたのレベルに近ずくのに、少なくとも
あと20回(約8000年)の転生が必要でしょう。
あなたはその間、益々高いレベルの魂となられるから
永遠に同レベルとはならない。
なのに世の人はこんなことにも不公平だ、不平等だとやっかむのです。
そんな社会、そんな教育を今の人は受けているのです。
no.5144 記入なし (07/09/04 13:48)
小学生が「あの世も天国も地獄もあるに決まっているじゃん。」といったら「やっぱりあの世も天国も地獄もあるんだなあ。」と思うんですか。
no.5145 記入なし (07/09/04 15:41)
この世が地獄じゃあ
no.5146 記入なし (07/09/04 16:25)
子供があの世に天国地獄があるのだとか転生があるのを確信するのはまだ可愛いものだ。大人でもあの世に天国地獄があるのだとか転生があると言う考え方を支持し信じ、そして憧れるのであればまあ良いのですが確信するとオウムや幸福の科学の信者みたいに危ない集団見たいになってしまう可能性になるから気を付けたほうがよろしいと思います。でも今時小学生でもあの世に天国や地獄があるということを確信する人はそう多くは無いでしょう。例えて言うとサンタがいるいないと論争しているのと同じである。
科学が発達した時代に騙される人はそう多くはいないだろう。
no.5147 記入なし (07/09/04 16:57)
生活苦から這い上がれない人生はなんてはかないんだろう。
生き地獄以外のなにものでもない。
no.5148 記入なし (07/09/04 17:00)
この世には天国地獄は存在します。
no.5149 記入なし (07/09/04 17:03)
早く人類滅亡の日が来てほしい。人生に何の悔いもない。
no.5150 記入なし (07/09/04 17:06)
どのような集団でも、大きくなると腐ってきます。
国家公務員然り、大企業然りです。
「霊訓」や「一二三神示」ではその弊害、人間の邪な性情を知っているから、教団なるものは作りません。
反対に作っているとしたらそれは人間中心の教えです。
信仰は一人ひとりの心構えなのです。
集団に入らなければならないと言う事はないのです。
no.5151 記入なし (07/09/04 17:31)
宇宙や地球そして人類が偶然と奇跡で作られたのと同様にこの世の出来事もほとんどが偶然と奇跡で出来ている。例えば1億円宝くじがあたるとか。
no.5152 記入なし (07/09/04 17:53)
貧困や生活苦も偶然と奇蹟?
no.5153 記入なし (07/09/04 17:59)
奇跡じゃないよ。
no.5154 記入なし (07/09/04 17:59)
ヒランヤに目を向けなさい!
no.5155 記入なし (07/09/04 18:19)
>5153
一生懸命努力していても貧困や生活苦ならば
生まれつき能力が無かったので、
運=偶然、奇跡になるんでしょうね!
それかもし怠けていたらこれは必然ですね!
no.5156 記入なし (07/09/04 18:37)
太郎さん、放浪者さん、5157の文字が読めないと母の愛がおこした奇跡を読んでどう思いますか?
no.5158 記入なし (07/09/04 21:18)
あね世から、迎えが来るよ〜
みんなの所にね〜
ほら、後ろに。。。
no.5159 記入なし (07/09/05 03:26)
>5158さん
文字が読めないのは脳の機能異常ですね。
識別できるプリズム、色がなんらかの異常で識別できなくなっているのでしょう。
母が起こした奇跡は、日本でも同じような事例がありました。
昏睡状態でも話しかけたり、歌や音楽を聞かす事によって、聴覚からの刺激で脳細胞の活性化を促進させていると考えます。
WPW症候群は、頻脈により脳の酸素飽和度が低下して脳機能の異常を起こします。
no.5160 記入なし (07/09/05 05:52)
>no.5157
仰天ニュースでやってたやつだね。面白かったよ。仰天ニュースは時々質の高いものを紹介してくれるね。
no.5161 トーイックさん (07/09/05 06:12)
なぜ小学生にこだわるのでしょう?肯定派、否定派はどんな年代にもいます。科学が未熟だからまだあの世を解明できないし、環境破壊ばかりして地球の生命を縮めているのです。確信に関係なく、宗教を悪用した金儲け目的の宗教団体が氾濫しているから宗教は危険です。人間、地球、宇宙は神がつくったのです。偶然や奇跡でつくられるものではありません。あの世を肯定している著名な方もたくさんおられます。
京セラの名誉会長で、KDDIの最高顧問である稲盛和夫氏も素晴らしいし、大企業のトップがあの世を肯定して公にいうことはたいへんなことです。
稲盛和夫氏の自著「稲盛和夫の哲学」より「日本人は物質的には豊かな生活が実現できたにもかかわらず、多くの人は満たされず、不安を抱きながらいきています。
死を迎えて「あなたは現世で何をしましたか?」と尋ねられたら、どんな答えを返すでしょう。「京セラをつくって、大きな会社にしたといってみたところで、何の価値もありません。さらに財産を何千億円もっていても、これも無意味です。では何が価値があるのか、それは現世を生きてきたときにつくりあげた人格、人間性、魂、意識体です。人間性を高めるために、われわれは現世で生きているのです。現世で体験することは、宇宙の創造主が人格をつくるために、手を替え品を替えて、われわれに与えてくれる試練なのです。死ぬときまでにどれだけ人格、品性を高めたか、そのことだけが人生の勲章であり、事業で成功する、学問で博士号をとる、組織で高い地位に就くなどということはあまり価値がないのです。また、そう思うと気が楽になります。
臨終のときに自分が横たわっている姿を上から見ていた。医者が自分の身体に触って「臨終です」といった。まわりの家族が泣きだす。「オレはまだ生きている。何を泣くんだ。」といっているうちに気がついた。こういう例はいくらでもあります。このことは科学的には証明できませんが、その数の多さを考えると、一概に否定できるものではありません。
私の知り合いにも臨時体験をした人がいます。彼女が夜中に自宅で心臓発作を起こして倒れました。気がついたら花園のなかを歩いていた。向こうからあなたがやってきて「お前は何をしているんだ。」といった。ハッと気がついたときに、電気ショックで心臓が動きだした。それは本当にリアルな体験だったといっていました。」
no.5162 太郎 (07/09/05 06:56)
理屈を言うと嘘くさくなるよ
だいたい ある でいいじゃんw
no.5163 記入なし (07/09/05 07:55)
>死を迎えて「あなたは現世で何をしましたか?」と尋ねられたら・・・
胸を張って答えられる人はいるのでしょうか?
no.5164 記入なし (07/09/05 09:09)
>5164
まじめに考えすぎ。
胸はって答えればいいじゃん!
no.5165 記入なし (07/09/05 09:14)
人間は、一人の例外もなく、自分の努力で性格を築き、自分の努力で霊性を進化させて行くために地上界へ来ているのです。
利己的な生き方を選ベばそれなりの代償を払わなくてはなりません。人のために役立つ道を選べば、個性の発達という形で報われます。そのように摂理が出来上がっているのであり、いかに地位の高い指導者といえども、それを変えるわけには行かないのです。
それ以外の教えは全て卑怯と不公正の教義です。もしも間違いを犯したら、潔くその代価を支払えばよろしい。屁理屈をこねて責任を他人に転嫁するようなことをしてはなりません。
no.5166 記入なし (07/09/06 07:58)
霊訓よりご紹介
人間が「死」と呼んでいるのは、その物的身体が活動を止めるというだけのことです。往々にしてそれが、残念なことに、魂に十分な準備ができていないうちに起きることがあります。が、いずれにせよ、死とともに、本当のあなたである霊は肉体という牢から解放され、より精妙な身体、霊的身体(幽体と呼ぶ人もいます)を通して自我を表現することになります。
それまでずっと無意識のうちにその時に備えていたのです。あなたがたが「死」と呼んでいる現象は、実は、それまでとは比較にならないほど大きな活動の舞台、生命活動の世界へ誘ってくれる門出なのです。なぜなら、その時から霊的能力が本格的に機能を発揮しはじめるからです。
no.5167 記入なし (07/09/07 11:13)
精神統一や瞑想はどのようにするのでしょうか?
no.5168 記入なし (07/09/07 11:41)
人は、楽しいときや悲しいときは精神統一をしているのです。
楽しい事や悲しい事にね。
寝る前や朝起きた時に、楽しい事を考えながらリラックスすれば良いと思います。
また、ご自分の目標などをどのように楽しく進めるかを考えれば良いのではないでしょうか。
no.5169 記入なし (07/09/07 12:23)
宗教とはどのように考えればよいのでしょうか?
人が集まってお金を出し合って、一部の人に贅沢をさせるものなのでしょうか?
馴れ合いのコミュニティーなのでしょうか?
やくざや政治家のように所属する組織が異なると、「無間地獄に落ちろ!」っと、罵り合うのが宗教なのでしょうか?
『霊訓よりご紹介します』
宗教とは何かと問われれば、私は躊躇なく申し上げます。
いつどこにいても人のために自分を役立てることです、と。神学などはどうでもよろしい。教義、儀式、祭礼、教典などは関係ありません。
祭壇に何の意味がありましょう。尖塔に何の意味があるのでしょう。ステンドグラスの窓にしたからといって、一体どうなるというのでしょう。法衣をまとったら、どこがどう違ってくるというのでしょう。そうしたものに惑わされてはいけません。何の意味もないのです。
自分を人のために役立てること、それが宗教です。貴方の住むその世界のために役立てるのです。世の中を明るくするために役立てるのです。人の心を思いやり、優しく労わり、気持を察してあげなさい。しかし同時に、邪悪なものに対しては敢然と闘ってください。
no.5170 記入なし (07/09/07 12:40)
>5170
なるほど、同意。
でも自分には出来ないけど。
自分が生きるので精一杯だから。
no.5171 記入なし (07/09/07 13:24)
霊訓よりご紹介します。
人間は霊をたずさえた肉体ではなく、肉体をたずさえた霊であるという考え方から出発しなくてはなりません。
物質の世界に生きている以上、どうしても生命を物質的なものとして捉えがちですが、本質的には生命は物質的なものではなく、その根本は非物質的なものです。あなたという存在は本来は物質ではないのです。肉体は物質です。が、本当のあなたは、今の条件下では触れてみることも、見ることも、聞くこともできません。“霊”なのですから……
さて、その本当のあなたの、その時その時の「質」の程度は、それまでどういう生き方をしてきたかによって決まります。その摂理は、身分上下の隔てなく、すべての人間に当てはまることであり、何人といえども、それに干渉することはできません。
わたしのいう摂理とは、自然界の法則という意味です。原因と結果の法則、因果律です。自分第一の生活を送れば、その人の霊性にいじけた生活の結果が色濃く出てきます。利己的生活はいじけた霊性を作り出すように摂理が働くからです。
反対に、自分を忘れ、人を思いやる生活を送れば、霊性が発達します。そういうように摂理ができ上がっているのであり、そこに例外はありません。
つまり現在のあなたは、これまでのあなたの行為、その身体で行ったこと、心で行ったこと、つまりは生活全体の総合結果であるということです。その本来の姿は地上にいる間は見えませんが、死の敷居をまたいで肉体から切り離された瞬間から、その有りのままの姿がさらけ出されます。高すぎもせず低すぎもしません。
地上生活中に自分でこしらえた個性をそっくりそのままたずさえて、こちらへ来られます。あなたにとっての本当の財産とは、地上での日常生活で発揮した霊的資質だったのです。
だからこそ摂理は公平なのであり、分け隔てがないのです。いやしくも合理的思考能力をもつ者なら、文句のつけようのない判断基準が用意されているのです。
以上のことから死後のことを想像してください。あなたはそうした霊的本性に合った世界へ赴くのです。特別の使命がないかぎり、それより低い世界へは行きたいとは思いません。が、それより高い世界へは、行きたくても行けません。その時に発揮しているバイブレーションより高いものは発揮できないからです。
そういう次第ですから、結局は霊的成長度と霊的能力において同等の人たちと交わることになるわけです。
no.5172 記入なし (07/09/08 06:11)
死後にも生活があるということは何を意味するのか。
どのように生き続けるのか。
その死後の生活は、地上生活によってどういう影響を受けるのか。
二つの世界の間にはいかなる因果関係があるのか。
死の関門を通過したあと、いかなる体験をしているのか。
地上時代に心に思ったことや言動は、死後、役に立っているのか障害となっているのか。
以上のようなことを知らなくてはいけません。
no.5173 記入なし (07/09/08 08:26)
苦しみとはどのようなものなのでしょうか?
経済的な苦しみ、病の苦しみ、人間関係の苦しみ、自身の才能を疑う苦しみ・・・。
経済的には潤沢でも、家庭内の問題で苦しんでいる人は沢山います。総てを投げ出してホームレスになる人もいます。
職場の人間関係で苦しんでいる人も沢山います。
ないものねだりで苦しんでいる人も沢山います。
取り越し苦労で苦しんでいる人も沢山います。
苦しみというものは必ずしも第三者の目に見える外面的なものばかりとはかぎりません。心が、精神が、魂が、その内奥で感じるのが本当の苦しみです。人間生活を日常のうわべの現象だけで判断してはなりません。それをどう受け止めていくかは、魂の問題です。
no.5174 記入なし (07/09/09 05:24)
霊性は、他人が代わって進化させることが出来るというような性質のものではありません。各自が物質界で送る生活の「質」によって自分で磨くものです。自分の行為が生み出す結果を他人が取り除いてあげることは出来ません。自分で償い、自分で報いを受けることによって精算して行かねばなりません。
教団にどのくらい布施をしたか、写真、つぼ等をいくらで買ったかで霊性があがるものではありません。
聖書でも言われているように、金持ちがいくら大金を出したからといって『御神』は喜ばれないのです。貧乏な人の気持ちのこもったわずかのお金を喜ばれるのです。
no.5175 記入なし (07/09/10 11:13)
「よく地獄に落ちる!」とか、「落ちろとか!」とか、
言われている人が居られますが、そのような恫喝的、恐喝的なことはおやめになったほうがよいですね。
霊訓よりご紹介します
ある宗教で説かれている教義が有害であることが明らかな時、良心の自由を尊重する立場からこれをそのまま許すべきでしょうか、それとも、良心の自由を侵さない範囲で、その誤った教義によって道に迷っている人を正しい道に導いてもよろしいでしょうか。
「もちろんよろしいし、また、そう努力すべきです。ただし、その時の態度はイエスの範にならって、優しさと説得力をもって臨むべきで、強引な態度は慎まないといけません。強引な態度は、その相手の間違った信仰よりも有害です。確信は威嚇によって押しつけられるものではありません」
no.5176 記入なし (07/09/10 13:40)
何故みなさんは神を信じるのですか?私は信じることができません。
別に宗教が悪いとか、神を信じてはいけないということではないのですが…。
宗教や神を信じるのはいいとは思います。
人間、何かを信じないと、何かにすがらないと生きていけない時もあると思うから。
でも、人は皆平等と説いている人達は嫌いです。(私個人の意見です)
この世の中で平等なものなど死しかないと思います。
なのに何故、死後の世界などという曖昧な事を信じて生きていけるのかが、私には分かりません。
もしも、神という存在が平等なのだとしたら、
きっと神というのは、ただ平等に生き物を見守るだけなのでしょうね。
誰の肩も持たず、誰にも手を伸ばさず、ただ、そういう存在なのでしょうね。
そして死んでからその者たちを罰する。
神という自らの価値観で。
人それぞれ色々な価値観があり、
物事に善悪などはっきりした境目など無いようなものなのに。
それを神という価値観に押し込んで、罰を下す。
それは、少し酷いような気がします。
はっきり言って、私は神があまり好きではありません。
私は色々と酷い事をしてきました。
はっきり言って、今までの人生でやってきたことだけでも、
もうすでに地獄行きかもしれません。
友達に心無い言葉を言って傷つけたこともあります。
友達と言っているだけで、誰にも心を開いたことなんてないし、
心の底から、誰かを殺したいと思ったこともあります。
私には自分以外の人の心の痛みが分かりません。
だから、自分のためなら、他人を殺すことが出来る人間です。
はったりだと、そう思われるかもしれませんが、本当です。
だからと言って、殺人願望があるわけではないのですが…。
本当に自分でも最低な人間だと思います。
私はきっと死ぬべきなんでしょうね。
だからといって世のために死ぬつもりは毛頭無いのですが…。
どう思いますかみなさんは。
ちょっと長くなってしまってすみません。
no.5177 桜 (07/09/10 23:49)
人生は1回ではない。あの世は確実に存在する。
本当ですか?ならば、早く行って!
no.5178 記入なし (07/09/11 00:08)
人は自由に生きるように作られています。が、平等ではありません。
桜さん
貴方の言われるとおり、万人に平等なのは『死』を迎える事だけです。この世は不平等な世界なのです。それは仕方がないことなのです。能力の差、体力の差総てが格差を持っているのです。そこに「平等」なる概念を当てはめる事自体間違いなのです。
また博愛という言葉もあります。
人間はそんなにえらい生き物ではありません。どうしても反発してしまう相手はいます。
霊界でも歴然とした格差社会なのですよ。霊性という差がある世界です。この地上世界との違いは、その霊性の差を誰しも認めている世界なのです。霊界では力のあるものが劣るものを助ける世界なのです。この地上世界のように虐げる世界ではないのです。
この地上世界は学校なのですよ。
雑多な霊格の人間が混ざり合って生活をしています。当然、そこには摩擦混乱があります。そこから何を学ぶかです。
『御神』に関しては、我々人間が創った神なる概念とおよそかけ離れた存在と考えます。宗教が嫌いと言われていても、この社会に生きている限り、人間が創った神なる概念の影響を受けざるを得ません。それも仕方がないことなのです。
シルバーバーチの霊訓をお読みになり、ご自分でお考えになればいかがでしょうか。
近藤さんが訳された本が全文公開されています。
http://www5e.biglobe.ne.jp/~spbook/how-to.htmno.5179 記入なし (07/09/11 04:44)
霊訓よりご紹介します。
神が慈悲深いということを、どこのどなたが説いておられるのか知りませんが、神とは摂理のことです。
究極においては慈悲深い配慮が行きわたっておりますが、そこに至る過程においては日照りの日もあれば雨の日もあり、雪の日もあれば嵐の日もあり、穏やかな日もあれば雷鳴の轟く日もあり、酷暑の日もあれば酷寒の日もあり、それがすべて法則によって支配されているのです。
私は、それと同じことが愛と憎しみ、怒りと純情についても言えることを説いたことがあります。そこにも大霊の摂理の働きがあるからです。が、それが理解できない人が大勢いらしたようです。大霊が憎しみの中にも宿るということが理解できないのです。しかし大霊は、大霊であるがゆえにこそ、必然的にすべてに宿るのです。摂理なのです。完全なる法則なのです。
no.5180 記入なし (07/09/11 05:06)
私は霊界に憧れています、早くあの世にいきたい。
こう考えるのは逃避だからダメですか?
no.5181 記入なし (07/09/11 14:51)
>5181さん
なかなか意味深長な内容ですが、霊界を信じる事と、早くあの世に逝きたいと言う事は別次元の話しです。また、逃避するしないの問題でもありません。
「早くあの世に逝きたい」と言う考えの元になっている「動機は何か?」が問題です。
自分が行った行為に関しては自分が責任を取るのです。
今は非常に乱れた世の中です。誰しも「逃げたい」と考えているのです。人が生きているとどうしようもない事柄にぶつかる事があります。そんな時は逃げるとか逃げないとかではなく、毅然とした態度にてその事柄にぶつかっていくしかないのです。
その経験の積み重ねが人生ではないでしょうか。
その人にとって、総ては必要な経験なのです。
「霊訓よりご紹介します」
霊的真理を知ることによって、地上で誰もが体験しなければならない「苦しみ」に対して、大きな視点を持って臨めるようになる。
「地上における苦しみ」は、われわれにとって決して悪いものではない。
それどころか、われわれの霊的成長にとって不可欠なものなのである。今しばらくは苦しいが、必ず後になって(霊界に行ってからのこともあるが)、何十倍もの喜びや感謝に変わるものなのである。永遠の霊界に対して、地上の苦しみはほんの一瞬の出来事にすぎない。
こうしたことを思えば、地上で直面している苦しみに対して、一段上から、大きなところから位置づけすることができるようになる。そして、地上の苦しみは実に小さなものになる。まずこの点で、霊的真理を知る者と知らない者とでは、天と地ほどの違いがあるのである。
no.5182 記入なし (07/09/11 17:15)
地上の大半の人々は“死”を恐れ怯えているが、霊的真理を知った者は、この問題に対しても実におおらかになれる。霊界の事実を知れば、死は何ひとつ怖いもの、悲しいものではなくなる。それどころか、心から待ち望む出来事にさえなる。
もし、自分が不治の病になって死の宣告を受けたとしても、どうということはないであろう。楽しい世界が待っているだけなのだから。その時は精いっぱい、地上の余生を神のために捧げようと思うだけのことである。そして、あの世に行ったら引き続き、自分より未熟な者達のために働こうと期待に胸をふくらませればよい。死は楽しい旅行に出かけることと同じである。
no.5183 記入なし (07/09/11 17:42)
5179さん、仮にもし死後の世界があるとして、
何故そこでは助け合いで成り立っているのだとお思いになるのですか?
いくら荒れて荒んでいるとはいえ、
この世で出来ないことを何故そこで出来るのでしょうか。
人は欲の塊です。
死んでしまったとしてもそう簡単に人格が人としての性が変わるとは思えません。
それとも死んでしまったら、
生きていた時のその人ではなく、まったく別のものになってしまうのですか?
今までのその人は消えてしまうのですか?
それと、もう2つ質問です。
助け合いで成り立っている所ならば、さぞ幸せな所なのでしょうね、そこは。
ならば何故あなたは生きているのですか?この世に。
人間ならば逃げたいと思うでしょう。
いくら学ぶためにいるのだといっても嫌ではないのですか?
死にたいとは思うことは無いんですか?
そして、もう1つの質問です。
あなたは「ダーウィンの進化論」についてどう思われますか?
no.5184 桜 (07/09/11 22:44)
>桜さん
貴方のご質問内容は、シルバーバーチの霊訓をお読みになればご理解いただけると思います。
ちょっと・・・邪推が過ぎるかもしれませんが、「自由 平等 博愛」のキャッチフレーズにけちをつけると、初めは恫喝的脅迫的なレスがありました。3回目は、このスレ内容に沿った批判がありました。4回目は貴方です。
桜さんは霊訓をよくご存知なのではないでしょうか。その内容に沿った質問をされる。
「ダーウィンの進化論」にしても過去レスを見ていただけばご理解してもらえます。
頓珍漢な誤読でしたらご容赦願います。
no.5185 記入なし (07/09/12 06:52)
桜さん
私からもシルバーバーチの霊訓を読むことをおすすめします。
疑問が解けるはずです、もしその内容があなたの理性と知性を侮辱するものであれば拒否されたらいいと思います。私は受け入れました。謙虚に真理を語るその文章には感服します。真実の愛から発してる言葉なので感動するのです。
no.5186 記入なし (07/09/12 12:19)
本のセールスマンかよw
no.5187 下っ端公務員 (07/09/12 18:02)
<器官と脳>
人間は器官で受け取った刺激を脳で処理している。
人間は腕や足を失っても痛みを感じる事がある。
しかし、聴覚、視覚を遮断して同種の実験を試みた場合、それを理解する事は不可能。)
<魂の否定>
生まれつき目が見えない人が普通に物を見ることはできない。
生まれつき耳が聞こえない人が普通に音を聞くことができない。
(また、普通に会話をすることもできない。)
仮に魂的な物が存在するとしても、それは現実では理解できるものでも感じれるものでもない。
死亡した人間は器官も脳もその活動を停止しているし、火葬の場合は存在すらしていない。この場合刺激を受け取ることは不可能で、それを認識することはできない。
死後の世界がほぼ現実の世界をベースに考えられている時点で妄想の産物ってこのなんだろう。
魂なんて物があったとしても、今の世界とは受け取る刺激も思考も別物なんだろうし、
刺激や思考そのものがもっと別次元の違うものである可能性も高いだろうし。
no.5188 記入なし (07/09/12 21:05)
光と闇の二極化。
もう始まっています。
光の中でも多極化して、闇の中でも同じです。
今の世の中を見ていると、二極化が進行しているのがわかります。
no.5190 記入なし (07/09/13 06:53)
>5188さん
「魂なんて物があったとしても、今の世界とは受け取る刺激も思考も別物なんだろうし、
刺激や思考そのものがもっと別次元の違うものである可能性も高いだろうし。」
その通りです。
前半の文章内容は、エリザベス・キューブラ・ロス女史の著作を読めば納得してもらえると考えます。
no.5191 記入なし (07/09/14 11:09)
5191の補足
肉体を脱ぎ捨てると、当然環境が変わります。しかし、霊的覚醒が進むまで思考、嗜好等はそのままです。嫉妬深い人は嫉妬深いままだし、疑い深い人は、疑い深いままです。慈悲深い人は慈悲深いままです。肉体の死を迎えたから180度変わるわけではありません。
霊的覚醒が始まり、地上生活を振り返る事が出来て初めて大いなる反省後悔、そして安堵の気持ちを抱く事ができるのです。
私は『霊訓』を信じるものです。といって、押し付けるつもりはありません。
知識の紹介をしているのです。
知らないから、常識に合わないからといって拒否されるのはその人の自由意志に任せます。どうでもよい事です。
巷にある宗教組織のように、信じれば天国、信じなければ地獄と言うような勧誘もしません。恫喝的、脅迫的なこともしません。
(私も人間であり、肉を纏ったものですから程度の悪いレスに対して怒気を発する事もあります。が。霊性低きゆえご勘弁を!)
no.5192 記入なし (07/09/14 12:10)
太郎さん、放浪者さん、k-2さんに相談があります。
私は去年まであの世があると確信してました。
しかし、医者が人間は前頭葉が司令塔だと100%確信して言っているので死んだら脳が機能しなくなるという言葉に洗脳されて今年になって急に死んだら無なると100%確信するようになりました。
私は頭の中身は普通なんですけど、ちゃんとした企業に勤めてなくてしかも恋人がいないので普通の日本人に比べたら不幸です。私はどうせあの世があるんだからこのことについてあまり気にもとめていませんでしたが、死んだら無になると100%確信してからラッキーな人生送っている人が羨ましくなってその事から頭が離れません。このことから完全に払拭するにはあの世が100%あると確信する以外にありません。
どうしたら今までのようにあの世があると100%確信することが出来ますか教えてくださいよろしくお願いします。
no.5193 記入なし (07/09/15 04:22)
>5193 医者が人間は前頭葉が司令塔だと100%確信して言っているので死んだら脳が機能しなくなるという言葉に洗脳されて今年になって急に死んだら無なると100%確信するようになりました。
この程度のことであの世の確信が崩れるようでは、あの世の確信なんて嘘であの世はあるのかなあ程度の思いでしょう。死んだら脳は機能しなくなる。これは当然のことです。死んだら身体が機能しなくなるのも当然のことです。でも霊魂の生命は永遠です。このスレとたくさんあるレスを何度でも読んでみたらあの世を確信できるようになると思いますよ。
no.5194 太郎 (07/09/15 06:36)
あの世とやらを見てきたんかぃ!w
no.5195 記入なし (07/09/15 06:37)
多少なりとも霊的能力が発現されている人は霊界を確信している事でしょう。
しかし、私を含め多くの人は霊的能力が奥深く埋没して、表在の感覚に翻弄されているのです。
医師の言う事をまともに受け取るなら、E・キューブラー・ロス女史も医師です。それもホスピス勤務で、多くの人を看取っています。女史の著書をお読みになる事をお勧めします。ご自身が何を感じる事が出来るかです。
我々は先人が残してくれた知識を学ぶしかないのです。
総ての人は魂レベルでは確信しているのです。が、生まれて生きてきて、訳の解らぬ常識なるものを刷り込まれて生きているのです。
このような話題をする事自体がキチガイ扱いされ、非難される時代に生きているのです。
どれだけ自分自身を見つめる事ができるかです。
今の社会は知識が錯綜しています。ご自分が感じる事の出来るものだけをご自分の物にすればよいのです。それが霊界否定でもよいのです。
大切な事は、今を実直に生きる事です。他人のため、社会のために少しでも貢献できる事をすればよいのです。
no.5196 記入なし (07/09/15 08:24)
>5193さん K-2です。 私の名を覚えてくれている人がいたのですね。
永いことレスしてないのにおどろきました。
「あの世があると100%確信することができる方法」ですか・・むずかしいですね〜
それよりどうしてあなたは「死んだら全て無になる」ことが確信できるのか、
こちらが聞きたい気持です。
過去レスでほとんど言い尽しましたが、確かに肉体を司るのは前頭葉を含む脳でしょう。
がその脳に指令を出したり感情を司るのは霊体の中のたましい(心)の部分だと
思うのです。
なぜなら死んで脳も何も全て焼かれても、人は自分の一生を記憶してあの世に
帰ります。
これは霊体の中心部、心の中に想念帯と言う記憶装置のようなものが有るからです。
肉体をまとっている間は忘れていたことまで鮮明に記憶しているそうです。
そして必要に(要請に)応じ、霊言という形でこの世の者に通信が可能です。
その内容を記したものが、或いは生きながらにして霊界探訪した記録が
全世界的に残されているのもその証拠でしょう。
霊格の高い者ほど過去何代も何百代にもさかのぼり自分の生きた世界を思い出すことが
出来るようです。また未来を読むことも出来ます。
勿論この世の者が謙虚で霊格が高くないと通信を受けることは出来ません。
我ら一般の者が受けられるのはせいぜい僅かなインスピレ−ション程度でしょう。
或いは良からぬ霊からのそそのかしぐらいかと思います。
さて、これだけではあの世が実在する事、魂の永遠性の証明にはなりませんね。
少し考えてみて下さい。世界各国あらゆる国に宗教というものがありますね。
よくは知りませんが無いのは社会主義とかの特定の変な国だけでしょう?。
先進国は元よりどのような発展途上国にも、未開の国にもまるで申し合わせたように
色品違えど土着の宗教が有って神おろしとか先祖呼び起こしとかやってますよね。
何故でしょう?。皆なそれとなく知っているのです。あの世があること、
魂は永遠であることを・・・
太古から先祖代々受け継がれて今日に至っているのです。未開の国の人ほど
この世的な垢に染まらず、魂が純粋だから霊界との通信は容易でしょう。
これがあの世の実在することの一番の証明ではないでしょうか。
あの世を否定することをもって文化人、知識人である、みたいな情けない風潮が蔓延している昨今ですが、欧米先進諸国でもほとんどの人はあの世を信じているようです。
その点、日本人は変なのですよ。これも先の大戦で敗れた負の遺産なのでしょう。
他にも、わたし自身の体験からもあの世実在の証明たるものはたくさん有るのですが、
長くなると読むのも嫌になるでしょうから、この辺にしておきます。
尚、私はこの世で恵まれない分をあの世に求める者ではありません。
私はネクラだから貴方の言われるように「死ねば全て無」になればどんなにいか・・・と時々考えたりもしますが、なかなかそうもいかないようです。
必ず続きがあるのです。人は死ぬに死ねない、魂は永遠なのです。
大いなるものに生かされている限り・・・
no.5197 k-2 (07/09/16 08:57)
人は大いなるものに生かされているのではない。
人に生かされているのです。
no.5198 下っ端公務員 (07/09/16 09:02)
精神状態が不安定な人間がなLSD等の幻覚剤を使用すると
その人間の意識に応じた世界に放りこまれる。
心に地獄を抱いてる人間は、相応のバットトリップをするってわけだ。
死後の世界もそんな感じだと思うぞ。
no.5199 記入なし (07/09/16 13:19)