語り合わん
no.2 記入なし (04/11/12 00:47)
語り合いたくありません
no.3 記入なし (04/11/12 00:48)
あなたの無職は前世での悪しき行いが原因ではありますまいか。
カルマではありますまいか。
修行しましょう。
no.4 記入なし (04/11/12 00:51)
西国・秩父・坂東・八十八箇所しましたが、何か?
no.5 記入なし (04/11/12 00:53)
>>5
その傲慢な心の持ち方が問題なのです。煩悩を捨てることです。
no.6 記入なし (04/11/12 00:55)
なるほど、良く分かりました。
所詮、都市のど真ん中に住んでいては、何をやっても高僧には追いつきません。
ああ、無常。
no.7 記入なし (04/11/12 01:02)
ハロワの求人自体、煩悩が無いようにみえます。
心を無にして働けそう
no.8 記入なし (04/11/12 01:04)
ホームレスの生活も修行であると考えればよろしいのです。就職活動も修行なのです。
no.9 記入なし (04/11/12 01:07)
はぁー、それにしてもお金がほしいっす。
no.10 記入なし (04/11/12 01:08)
>それにしてもお金がほしいっす
この煩悩がいけません
クリスタルGで労働の尊さを学んでください
no.11 記入なし (04/11/12 01:11)
はぁー、やっぱキャバクラにも行きたいっす。
no.12 記入なし (04/11/12 01:13)
>>11
仏教の修行に勝る修行はありえません。
no.13 記入なし (04/11/12 01:15)
アーレフはどうなの?
no.14 記入なし (04/11/12 01:16)
>やっぱキャバクラにも行きたいっす
この煩悩もいけません
巣鴨で歴史ある女性のケアに励んで、煩悩を捨てましょう
no.15 記入なし (04/11/12 01:16)
クリスタルGで労働の喜びをみつけましょう
no.16 記入なし (04/11/12 01:17)
>>14
アーレフは仏教ではありません。
no.17 記入なし (04/11/12 01:17)
ケロヨンクラブで修行しましょう
no.18 記入なし (04/11/12 01:20)
創価学会参上
no.19 記入なし (04/11/12 01:42)
法の華推参
no.20 記入なし (04/11/12 01:43)
統一教会参上
no.21 記入なし (04/11/12 01:43)
ヨンさま参上
no.22 記入なし (04/11/12 01:52)
幸福の科学登場
no.23 記入なし (04/11/12 01:53)
おまいら何か勘違いしているぞ。
スレ主はフランスのことを知りたいんだ。
no.24 記入なし (04/11/12 09:33)
日本の仏教は邪道!
妻帯可!
肉食可!
殺生可!
副業可!
なめてんのか僧侶!
どれもこれも全部親鸞が悪い!
no.25 記入なし (04/11/12 19:20)
一つだけ言い忘れたことがある・・・・
長髪も可・・・・
no.26 記入なし (04/11/12 19:27)
無職は可?
no.27 記入なし (04/11/12 19:29)
>25さん
ブッダは、そのような事を禁じていません(^^;
no.28 下っ端公務員 (04/11/12 19:31)
http://www.chugainippoh.co.jp/NEWWEB/n-taidan/taidan2.htm鎌田 仮に 「アフリカ的段階」 を仏陀が受けて思想を提示したとして、 そのときバラモン教との関係をどうとらえていたかということは大問題ですね。 バラモン教的な呪術を仏陀は明確に否定しているわけだから。
バラモン教の供犠という行為は人間の欲望と結びついています。 その欲望世界をどうリファインしていくことができるのかという問題について、 仏陀はそのような呪術的な供犠の世界観では人間の欲望の世界を解決することはできない、 むしろ悪循環へ陥ってしまう。 そこからどう抜け出るか、 という問題意識があったので、 そういうものに対してはっきりと批判的な位置をとった。
ジャイナ教もそうですが、 その思想は、 不殺生というところに行き着くわけです。 仏教の第一原理。 それは供犠の否定ということです。
no.29 記入なし (04/11/12 19:43)
中沢 突入して、 その時初めてあの教えが生まれる。 この問題にはいろいろな意味が込められていますね。 日本人の感覚に分かりやすく言うと、 例えば日本仏教は親鸞の考え方にまで到達した。 ここではありとあらゆるものを捨てちゃった。
供犠も、 祈りも、 食物の禁忌も捨て、 僧侶というものも否定した。 全部捨てたところに現われてきたもの、 それが仏の教えだと、 日本人のある人たちは理解したのです。
仏陀がやったことというのは、 大体似ていますね。 供犠も、 マントラも、 祈願も、 占いもありとあらゆるものを捨てている。 そういうのを見て喜んで、 「合理的な宗教だ」 と言いますが、 そういうことではないんですね、 捨てるというのは。
no.30 記入なし (04/11/12 19:50)
これは仏教の話ともかかわるけど、 生命の本質は煩悩じゃないですか。 煩悩である生命そのものに従って経済活動を行なっていくと、 必ず資本主義に帰着していく。 それほど煩悩と生命と資本主義は一体で、 それに対するオルタナティブを構想するのがいかに困難であるかっていうことにもつながっていきます。
no.31 記入なし (04/11/12 20:12)
インド的なセイントというか、 グノーシス的な霊的人間。 そこでは、 人間の煩悩とか悪の問題がとても深くとらえられているわけです。 イエスは荒野で四十日間の断食をしたあと、 悪魔と対峙しています。 悪魔と向き合って、 言葉でこれを退けている。
仏陀がブダガヤで悟りを開いたときも、 悪魔がやって来て、 仏陀はやはり言葉と叡智をもって退散させている。 悪魔は言葉とイメージの誘惑者で、 それが欲望の火付け役なんですね。
この二つの悪魔対決のエピソードは、 人性論的な人間の叡智化への道筋を、 仏陀もイエスも示していると思うんです。 そういう観点で見たほうが、 その後の思想や宗教家の登場をよりダイナミックにとらえられる。 信仰の立場じゃなく、 思想史的に見て。
no.32 記入なし (04/11/12 20:14)
坊主がビジネスだからどの宗教も信じると損する
結局利権の手段になってる
no.33 記入なし (04/11/12 20:17)
ミャンマーの僧侶はすげえ!
妻帯不可!
肉食不可!
殺生不可!
副業不可!
長髪不可!
見習え日本の僧侶!
どれもこれも全部親鸞が悪い!
no.34 記入なし (04/11/12 20:44)
それはどうかな?
no.35 記入なし (04/11/12 22:24)
東南アジアにおける小乗仏教の教義は非常に厳しい。
ただでさえ蚊が多い地域なのに、どれだけ蚊に血を吸われても、僧は絶対に殺してはいけない。
肉も絶対に食べないし、女人には絶対に触れない。もし触れたら今までの修行は全てゼロ。
(一般の信者は禁じられていない)
特にミャンマーでは、出家とは一生を仏門に捧げること。
還俗した者は修行に耐えられなかった軟弱者として軽蔑され、社会的に抹殺される。
インドでは仏教は結局、根付かなかったけど、原始仏教の精神が東南アジア地域にて根付いた
最大の理由は、豊かな自然の恵みがあったことも関係していると思う。
東南アジアのような熱帯雨林地域では、種を無造作に蒔いて放っておけば、そのうちに農作物
が豊かに実って、毎年のように収穫が約束される。
そんな場所だからこそ、仏教は生き残れたのだろうか。(チベットはどうなんだろう?)
本来の仏教教義はどちらかというと非生産的。僧は一種の高等遊民といっていい。
この非生産性を許容できるような自然環境と社会環境がなければ仏教は滅びるか、姿形を変える。
砂漠や積雪地帯、内乱や異民族の侵入が多い地域では、本来の仏教の精神を維持することは
難しいのだろう。
シルクロード西側と中国の仏教は消滅し、日本では親鸞の浄土真宗によって、仏教の精神は
異様に歪められた。僧による戦争(殺害行為)さえ認めてしまったことは非常に残念。
東南アジアの小乗仏教を知ってしまうと、日本の仏教の詐欺みたいな面が嫌になるほど目に
つく。そして、宗教を信じたくても信じられない悲しい現実に気がつく。
no.36 記入なし (04/11/14 00:08)
仏陀の教えの根幹にあるものはカースト制度への批判。
カースト制度を支配するバラモン教のアンチテーゼとしての部分に重要な意味がある。
ゆえに生贄を捧げるバラモンの儀式に対して、徹底した不殺生主義が生まれ、
職業身分の血縁による絶対的固定化に対して、輪廻転生の平等主義が生まれた。
その規範を示すために、僧自身が肉食やセックスを禁じたのが仏教教義の始まり。
西アジアやヨーロッパの自然環境及び社会環境は、本質的に仏教教義とは相容れない。
食糧生産能力に限界があり、生存のためには狩猟や収奪に頼らざるをえなかったから。
ゆえに協力なリーダーを立て、生産性を最優先にして機能的な階級社会を成立させてきた。
宗教もまた、生産性向上のためのシステムに組み入れられる。
キリスト教やイスラム教は、そのような経緯を経て、かの地に根付いたことになる。
日本の仏教(大乗仏教)は伝来前の中国にあった段階で既に変容していた。
歴史的に内乱と異民族の脅威にさらされ続けた中国社会もまた、本来の仏教教義をそのまま
受け入れる余裕がなかったのだろう。
それが日本に入って天皇制と結びつき、妙な形で日本的なカースト制度を創り上げてしまっ
たところに日本の仏教の悲劇がある。それが庶民にも浸透しはじめる鎌倉新仏教において、
悲劇は決定的となった。
庶民への布教を妨げる教義を破壊し、都合のいいように歪めたことで、本来の仏陀の教えは
完全に瓦解し、後に本願寺の戦闘集団化や、士農工商と仏教が共存するというような異常な
状態を生んだ。
オウムや池田大作や織田無道のような詐欺師もまた、この日本仏教の悪しき伝統によって生
み出された悲劇といえるだろう。
東南アジアの小乗仏教の僧は、間違いなく日本の仏教の余りにも乱れた現実に呆れているはず。
キリスト教やイスラム教なら確実に宗教戦争が起こっている。
そうならなかったのは、小乗仏教が本来の仏教の教えを厳しく守り続けたことも一つの要因であろう。
真に平和を愛する本来の仏教教義に対する敬意と信頼はあるが、詐欺としか思えない歪んだ
日本の仏教を信じる気は全くない。
no.37 記入なし (04/11/14 12:13)
創価学会の池田大作は自分の事お仏教徒と呼んでいるそうだ!ガンジ〜、キング、池田OK!→グラフSGIより。
no.38 記入なし (04/11/15 19:16)
仏教って何?
no.39 記入なし (04/11/15 19:18)
>39さん
『仏陀の教え』です。
ただ数多の解釈がありすぎて、
とんでもないことになっていますが(^^;
no.40 下っ端公務員 (04/11/15 19:34)
人間の心には、
仏心
菩薩心
縁覚心
声聞心
天上心
人間心
修羅心
畜生心
餓鬼心
地獄心
があります。
一番心の多かった心の場所に死後魂は移り変わります。
戦いの心を持ちすぎた人(修羅心)は死後、修羅界に魂は引き寄せられます。
no.41 記入なし (05/05/02 09:46)
ウ〜ン ウ〜ン ムズカシイ・・・・・・
no.42 記入なし (05/05/02 13:41)
地獄界、畜生界、修羅界、餓鬼界、天上界、菩薩界、仏界
no.43 記入なし (05/05/02 15:48)
因果の道理をよく知れば、仏天をも怨みず、今生の修福、
報い将来にある事をたにしみて、怠る心更になし。
運は天にまかすというのは大いなる惑いなり。
運は我にあり、天にあらず。
no.44 記入なし (05/05/03 19:36)
わかりやすく言わないと伝わらないよ。
no.45 記入なし (05/05/03 19:53)
南無観世音菩薩 と唱えればどんな災いでも取り除くことが出来るのだ。…らしい。
般若心経を唱えればたちまち悪霊が退散し、願望が必ず実現し、病気が治るのだ。…らしい。
no.46 記入なし (05/05/03 23:10)
そんな事言ったら、般若心経を毎日唱えれば仕事に就けるになるってことだね。
まぁ、それなら幸せでいいけど。実際、いくつもあたってみないと難しいよね。
no.47 記入なし (05/05/03 23:33)
人生観変わる言葉を下さい。
no.48 記入なし (05/05/08 17:06)
仏教に詳しい人、48さんの願望に応えてあげてください。
no.49 記入なし (05/05/08 18:49)
こういう時こそ、顕正会の奴らが進んで、手を差し伸べるのが常道だよな。
意見だけは「日蓮の道理」をコピペして言っているけど、まあ、所詮は内輪もめ集団で雑魚には見向きもしないんだな。
すまぬ、他スレを引きずってしまった。
no.50 素浪人 (05/05/08 19:51)
>>48
変わるか、どうか分からないけどね^^
「自灯明・法灯明」
no.51 ハンコ屋 (05/05/08 20:56)
人はサイクルである。生→死→次なる生を選ぶ権利(天国)→生をゆるされる。
→地獄選ぶ権利ない→地獄を永遠に、人間以下のものに
生まれ変わる可能性がある。
no.52 1 (05/05/08 20:59)
>>52
本当は、六道輪廻的思想は仏教の本質ではないのだが・・・。
それは後に他宗教の影響を受けて、それに対抗する為に
高僧が創案したものであるという説もある。
そもそもカルマという発想は、好きではない。
カースト制度の温床を作ってしまったり、
貧富の差を宿命とさえしてしまう。
それは生まれつき、病気がちの人々であったり、
貧しい人々に対してムチ打つ格好になってしまうのだ。
今の不運を前世を持ち出されても、記憶がないのだから、
全くの他人と等しいと思う。
因果応報は、一人生を越えてはいけないと思う。
no.53 ハンコ屋 (05/05/08 21:14)
>48
発祥は何かわかりませんが、こんなのあります。
中国の格言に『一笑一若一怒一老(いっしょういちじゃくいちどいちろう)』とあり、
一度笑うとそれだけ若返り、一度怒るとそれだけ老けるという意味です。
人間は、楽しくなくても笑っていると楽しくなってくるそうです。
no.54 記入なし (05/05/11 18:44)
経典の現代語訳してお願いします。
no.55 記入なし (05/05/29 19:34)
>48
苦境にある時は「辱めを忍べ」
逃げ出したり投げ出したりしたいという気持ち、
感情をあらわに怒ったり泣いたりしたいという自分の気持ちをグッと堪えるという意味。
たとえ、さげすまされても、それに耐え忍ぶ。
「忍辱の徳」(にんにくのとく)を積んでいるのだと思って下さい。
何事も修行と思ひする人は、身の苦しみはきえはつるなり。
no.56 記入なし (05/05/29 19:43)
「南無観世音菩薩」と観世音菩薩を信仰すれば、
生まれてくる子供は男子なら立派で(忘れた)
女子なら容貌端麗な子供を授かることが出来る。
またどんな災いも取り除くことが出来る。
no.57 記入なし (05/05/29 19:44)
経典の現代語訳って難しくて。
どっかのHPのコピペしかできません。
1・われわれが 良からぬ行為をするならば、三時にわたる悪業の報いは、どんなことがあってもにげることはできないのです。しかし、おろかさに気付き教えにしたがって懺悔するのであれば、重い報いや責任もいさぎよく背負えるものであるし、重い罪業も懺悔の力によって軽減され、さらには、浄らかな懺悔のこころが清浄なるさわやかな気持ちにさせてくれるものです
2・造悪のものは堕ち、修善のものは登る。少しも違うことはない。
no.58 記入なし (05/05/29 20:40)
>55
般若心経のHPのコピペ
観音さまが修行によって深い智慧を完成した時、物体や精神には実体がなく空であると悟り、すべての苦悩や災厄から抜け出すことができた。 舎利子(お釈迦さまの弟子)よ、物体は実体のないものであり、実体がないのが物体である。つまり、物体の本質は実体がないということであり、実体のないものこそが物体なのだ。これは、感覚や意識といった精神的なことも同じである。舎利子よ、すべての現象には実体がないのだから、生じることも滅することもない。汚いとかきれいということもない。増えたり減ったりすることもない。物体もなく、精神や感覚もない、目に映る世界もなければ、意識に映る世界もない。悟りを妨害するものもなく、悟りを促すものもない。老いも死もないし、老いや死がなくなることもない。苦しみの原因もなければ、苦しみを解決する方法もない。悟れないし、悟りもない。何もないのだから。菩薩さまは、こうした深い智慧によって、すべてにこだわりがない。こだわりがないから恐怖もない。すべての誤った妄想からはなれて、究極の静寂の境地となる。過去・現在・未来の仏さまも、この深い智慧の完成によってこのうえなく優れた境地となった。この深い智慧こそが、比類なく最上の、すべてを明らかにする真理の呪文である。これは偽りなく、本当にすべての苦を除く。ここに、この深い智慧の呪文を示そう。行ける者よ。行けるものよ。彼岸に行ける者よ。彼岸にともに行けるものよ。悟りよ幸いあれ。彼岸に渡る智慧の教え。
no.59 記入なし (05/05/29 21:00)
私が仏教の全てを表しているのは、59の般若心経。現代訳にすると長くなるけど、漢文で読めば非常にコンパクト。そして、内容の濃密さに驚かされる。
ある有名な霊能者が、「危難が迫っていて般若心経を唱えると、悪霊が一時的に大人しくなるけど、その後が救われない奴らが群がってもう大変になるよ」と言っていたが、どうであろう。
そういう時は、般若心経よりも早九字を切るのが適当でしょうかね。
神道だと祓い言葉。あれは、自分を清めるから群がる悪い霊には意味無いのは知っている。内容が内容だから。
般若心経も文学的に見て素晴らしいけど、平家物語の冒頭も負けず劣らず素晴らしい。
今、文学界に現れたら、ヒーローだね。
基本的に「」が多すぎる作家って、能無しでしょ。芥川とか直木が生きてたら、絶句悶絶するだろうね。「ここまで、表現力と心描写のレベルが地に落ちているのか」と。
no.60 素浪人 (05/05/29 21:44)
55です。
ごめんなさい。
仏教を知らない方々の為にも、
2000年版現代語訳でお願いします。
no.61 記入なし (05/05/30 08:39)
女人に見えるは己が心の咎、悪も善もこれすべて心の咎。
言葉で現そうとすることも心の咎である。
この世のすべてが「空」であると悟るならば、至極の幸福が得られるであろう。
故に僧侶になる必要もなし!
真の修行者は在家の中にこそその本道を見つけるのである。
no.62 記入なし (05/05/30 08:40)
>55
もはや、これは自分で調べるにこしたことはないでしょう。 59
no.63 記入なし (05/05/30 08:52)
>1
君は創価学会員?
no.64 記入なし (05/05/30 16:47)
本の抜粋・・・般若心経を100回1000回と読むと、叶わない願いはない。と書いてあります。
100回位なら読みましたが、特に眼をみはるようなことは・・・。
樹海に行かずにはすんでます・・・。
no.65 記入なし (05/05/30 19:22)
詳しい人誰か、65さんに応えてあげください。
no.66 記入なし (05/05/30 19:57)
これをは?(ブロードバンド推奨)
ttp://www2.gyojya.jp:8000/Flash/Good/oharai.swf
no.67 記入なし (05/05/30 20:02)
こっちの方が本格的
ttp://www.naritasan.org/flash/okyou.swf
no.68 記入なし (05/05/30 20:03)
有名なお経の訳を知りたいな。
no.69 記入なし (05/05/31 15:53)
みんなはどんな修行してんの?
no.71 記入なし (05/06/07 08:36)
動中の静、静中の静よりも100倍難しい。
no.72 記入なし (05/06/07 08:48)
ナントカソワカ!!
no.73 記入なし (05/06/07 21:11)
オンハンドボドハンバヤソワカ
オンバジラギンハラジハタヤソワカ
オンサラバタタギャタハンナマンナノウキャロミ
とにかく助けて。不動明王様。観音様自分を災いからお救い下さい。
no.74 記入なし (05/06/07 21:18)
仏教ネタのお笑い芸人って誰だっけ?
面白かった。
no.75 記入なし (05/06/07 22:16)
ポール牧
no.76 記入なし (05/06/07 22:17)
難しいね。
no.77 記入なし (05/06/08 11:59)
チベットは、食糧不足による人口抑制のための仏教らしい。
子供を作らない代わりに、食は確保してもらえるらしい。
独身無職はチベット僧侶に近い存在。
no.78 記入なし (05/06/08 20:46)
チベットって、夫は通うんだよね。一妻多夫でしたっけ?
no.79 記入なし (05/06/08 20:57)
死ぬまでに、ポタラ宮殿見てみたい。
輪廻転生ってあるかいな?
no.80 記入なし (05/06/08 21:32)
輪廻転生はあるね。
no.81 記入なし (05/06/10 17:57)
ダライラマは、常に転生した者が探されてなっているよ。
no.82 記入なし (05/06/10 22:01)
色即是空
空即是色
no.83 記入なし (05/06/12 22:07)
日蓮と親鸞の違いを教えて下さい。
no.84 記入なし (05/08/27 08:03)
>84
日蓮宗は「南無妙法蓮華経」
浄土真宗(親鸞)は「南無阿弥陀仏」
no.85 記入なし (05/08/27 09:22)
この世の行いが悪いとやはり地獄行きですか?
no.86 囚人 (05/08/27 10:50)
>86
そうです、地獄谷行きのバスにノリノリでノッテもらいます。 by かずのこ
no.87 記入なし (05/08/27 12:02)
やっぱバスはボンネットバスですか?あの猫バスみたいな・・・{笑}
no.89 囚人 (05/08/27 12:26)
>89
そうです、そして、バスの横に何とか温泉郷とか、書いてありますが気にしないで
ください。行いの悪い人は、おかずが1品ないのと露天風呂地獄に入れないという
厳しい修行があります。ん〜ん、きびしい〜〜
no.90 記入なし (05/08/27 12:38)
そうですか・・・・地獄での仕事は何するんですか?希望としては、三途の川の船頭さんをやりたいのですが・・・・
no.91 囚人 (05/08/27 14:12)
ダライ・ラマが転生したとゆうのは誰がどうやって判断するんだろうか。
no.92 記入なし (05/08/27 16:00)
ゴータマ・ブッダ(釈迦)が日蓮聖人の誕生するまでのつなぎ的な役割だったと
言うのは本当ですか?創価の人から聞いたんですけど。釈迦は当時の人がまだ
仏教について理解するのに難しい時代だったから比喩的に説法していたと。日蓮
聖人は本当に仏教の頂点におられる方なんでしょうか。ちなみに現代では釈迦を
信仰しても意味がないともおっしゃってられました。釈迦の生きていた時代である
ならば釈迦を信仰していて良かったそうです。
no.93 記入なし (05/08/27 16:30)
やはり神棚はお祀りしたほうがいいのですか?
no.95 囚人 (05/08/28 09:30)
>>93
厳密には、頂点より指導者としての認識でしょうね、
それは三大誓願にて言ってます。
(宗教的には)地湧の菩薩の化身ではないか、と思っていたらしい。
釈尊と日蓮の関係は、あくまでも釈尊>日蓮である。
それは、宗教的主体が日蓮でなく釈尊である事は、彼の遺文の中でも
明確に述べている。
>>95
すべては心の持ち様です。
まぁ究極的には善も悪も人が決めている事ですから、
ライオンがシマウマを食べて、罪になるか?という事です。
まぁ悪い事を助長する気はないけどねぇ〜
大きな尺度(宇宙的規模、無限の時間)で見れば、大した事ではないかもね。
no.96 ハンコ屋 (05/08/28 10:10)
さっそく伊勢神宮へお札をもらいに行ってきます。
no.97 囚人 (05/08/28 10:44)
bP00を取りたいという煩悩に打ち勝つため
98に書き込み。これもお盆にお供えをしたおかげだ。
no.98 スナフキン (05/08/28 11:47)
大集経に釈尊滅後の教えの変遷が説かれています。
それによると滅後2000年には釈尊の教えはその効力を失い、
釈尊の教えでは衆生は救われなくなる。
いくつ仮説はあるそうですが、日本では滅後2000年とは
後令泉天皇の時代からとされています。以後末法と呼び、
百法隠滅の時代です。
no.99 記入なし (05/08/28 13:17)