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アラフィフ喪男の花粉症日記

この日記は、
中国山地にある小さな町在住の49歳の日記。

[悩み]
・冬は超冷え性、春は超花粉症、夏は汗かき。

 ■ 2010/12/28 (火) 銀河鉄道999の20巻を偶然見つける


昨日の日記で【ティア・ヘルマザリアが出てくる銀河鉄道999の20巻が見たい】と書き込みました。
(見ることはもうないだろう)と思い書き込んだのですが、
昨日の午後、偶然見つけ、買いました。


午後にDVDを借りに、車で出かけました。
途中でガソリンを入れました。ガソリンスタンドを出る時、(ついでに古本屋にでも行くか〜)と思い、行きました。


マンガ倉庫に行きました。文庫漫画コーナーに行きましたが、ありませんでした。
ペーパーバックコーナーを探していると、『TPボン』1・3・5巻があり、立ち読みしました。
昔、20年くらい前に1度、『TPボン』がアニメ放送されました。ビデオ録画し、何度も見ました。
「僕らはTP、秘密のTP、時の中を見守るパトロール」という主題歌をよく思い出します。

『TPボン』を読み終わった後、小学館コーナーに駄目もとで行ってみると、【銀河鉄道999の20巻】がありました。
私は、読まずに、買いました。
(読んで、買わずに帰って、また来た時、もう売れてるかもしれない。そうしたら、もう2度と手にすることはない)と思い、買いました。
読まずに勝ったのは、(今そこで読むのは、もったいない。買う気持ちが無くなるかも)と思ったからです。

レジに行くと、レジ係のお姉さん(20歳ぐらいで、私より15歳年下だけど)が、「ここで買ったら、もう買い取ることは出来ない」と言ってました。
「別にかまいません」と私は言い、250円で買いました。


マンガ倉庫を出る時、いつも思ってることだけど、(立ち読みOKだから、買う奴はほとんどいないだろう。私も買ったのは初めてだ。儲かってるのかな?利益は出てるのかな?)と思いました。

レンタルDVD店には寄らずに、帰りました。


家でさっそく読みました。
面白かったです。ただ、(ティア・ヘルマザリアもっと、出てくれば良いのに・・・)


PS
残念なことが1つだけありました。
それは、マンガ倉庫には、銀河鉄道999の21巻だけが無かったことです。



 ■ 2010/12/27 (月) ティア・ヘルマザリアが出てくる20巻見たい


先週テレビで観た番組で印象に残ってるのは、『旅するジーンズ』と『米沢守の事件簿』です。
そこそこ面白かった。


昨日、図書館で、漫画『銀河鉄道999』のエターナル編(16巻)を見ました。
地獄の聖母ヘルマザリアが出てきます。鉄郎に倒され、その後で、彼女の息子と娘が出てきます。
この話は、私は好きです。
これを初めて見たのは、12年前、やはり同じ図書館でです。

10年前ぐらい、漫画雑誌ビッグコミックで、本当に偶然、ヘルマザリアの娘であるティア・ヘルマザリアが出てくる話を見ました。
その話は、(20巻)であります。私は、その回の話をもう1度見たい。
それを見たくても見ることが出来ない。
小学館に在庫は無い。どこにも売ってない。古本屋にも売ってない。
図書館には、19巻までしかない。

見たいぃぃぃぃぃ。ついでに、21巻も見たい。



 ■ 2010/12/24 (金) 今年も何もなかったクリスマスイヴ


36歳のクリスマスイヴ。何もありませんでした。
夜は鍋でいた。旨かったけど、それだけです。見るテレビもないし、つまらない。

テレビを見ると、幼い子供連れの家族ばかり、クリスマスイヴについてインタビューしている。
この光景が、喪男の私には、辛すぎます。気分が沈みます。

午後に、書店に行きました。
たまたま【まさし君】という、3流大学生のまさし君の大学生活(主にバイト)の4コマ漫画があり、立ち読みしました。
この漫画との初めての出会いは大学4年の1月。ゴミ捨て場で見つけて、持って帰り読みました。結構面白い漫画です。私自身、当時、3流大学に通ってたから共感しました。
この漫画の作者は、読売新聞で【コボちゃん】を連載している植田まさしです。


20歳以前は、36歳になって、こんなクリスマスイヴを過ごしてるとは、思いもしませんでした。
妻がいて、子供がいて、クリスマスプレゼントを渡してという、楽しいクリスマスイヴを過ごしてると思ってました。



 ■ 2010/12/24 (金) 桂木山、再挑戦


桂木山に再挑戦しに行きました。
ネットで下調べをし、行きました。


前回は、登山口で車を止めたけど、
今回は、秋芳大滝駐車場に止めました。私以外に1台の車がありました。
(他にも人がいるのか〜)と思いながら歩き出すと、すぐに、その車の持ち主に出会いました。
カップルでした。女は赤いコートを着ており、男は北欧系の背の高い外国人でした。(チッ!)と思いました。
カップルは道路を歩いてたので、私は、左側にあった畦道に続く階段を下りました。喪男である私はカップルに憎しみを抱いており、すれ違いたくなかったので。

畦道を歩くと、白糸の滝が見えました。
(これが白糸の滝か〜・・・。まさか、神が私に白糸の滝を見せるために、カップルをよこしたのか?)と思いました。
カップルが来なかったら、多分、道路を歩いていたと思う。


登山口を過ぎ、作業小屋まで行きました。
前回は、真っ直ぐ行き失敗しまいたが、
今回は、右側にある狭い(見落としそうな)山道を行くと決めてました。ところが、右側には2つの狭い山道がありました。

(どっちにいこうか?)考え、右側を行きました。椎茸がたくさん生育されていました。そこを過ぎると、橋の無い小川があり、小川の石の上をなんとか渡ると山道がありました。
(これって、旧道?)と私は思い、引き返しました。


作業小屋に戻り、左側の狭い道を行きました。
(また、間違ってたかな?)と思うと、案内の立て札がありました。
安心して歩き始めました。ところが、想像以上に険しい山道でした。山道は前々日の大雨で濡れてました。日が射さないため、乾いてませんでした。

奥に進んでいくと、急な階段がありました。私は汗だくだったので、12月だというのに、上半身裸になりました。
私は階段を、右足で一歩上ると思いっきり息を吸い、左足で一歩上がると、思いっきり息を吐きました。それを何度も繰り返し、急な階段を上りました。

その階段を上り終わると、右へ行くようにという案内の立て札がありました。そこは尾根だとネットにありました。
緩やかな道でした。日の光が見えました。
歩いていくと、左にまた急な階段がありました。その階段を上りました。
そして、やっと頂上に着きました。


作業小屋から頂上まで、35分でした。誰もいませんでした。
「素晴らしい景色・・・」とは、残念ながら言えませんでした。空は明るかったけど、白く濁ってたからです。特に、南西は、日の光と、霧?雲?が乱反射してました。
北は木々が邪魔をして、それほど眺めはよくありませんでした。

頂上には、頂上に来た記念として、自分(グループ)の名前を書いた板が置いてました。
(私も、持ってくれば良かったかな)と思いました。


いろいろ景色を眺めてたら、いつの間にか30分経ってました。
私は、下山を始めました。
急な階段を下りるのは大変でした。上る時のように息を切らすことはなかったけど、
階段を左足で一歩下り、
右足は、左足の段の下ではなく、左足のある段に下ろしました。

汗は出ませんでした。息も切らしませんでした。そして、手が冷たかったです。
小股に歩きながら40分で作業小屋に辿り着きました。
狭い山道を出る直前、一人の男の高齢者とすれ違いました。
身長175pぐらいで、足が長く、上半身長袖1枚で、胸板が厚いスレンダー体型の高齢者でした。
(私も最低でもあれぐらいの体格が欲しかったなぁ)と思いながらすれ違いました。








 ■ 2010/12/22 (水) 花の季節を歌ってた


朝6時半に起きて、朝食を食べ、6時45分に新聞を取りに外に出ました。

外はまだ、暗かったが、
月が真ん丸で、ものすごく綺麗に輝いていました。

高校生と予備校生だった時は、
この時間に家を出て、学校に行ってました。寒くて暗い夜道を自転車で走って駅まで行ってました。
自転車に乗ってる時、

「暗い夜道をただ〜、馬車は過ぎて行く〜。ーーーーー時は巡り、ララララ〜ララ、バラの花束投げて〜、娘た〜ちと、踊れ今日〜こそ、燃える炎のように〜」

と、毎日【花の季節】の歌をうる覚えで歌ってました。


大学に入ってから、忘れてましたが、
実家に戻って無職になって以来、この時期のまだ外が暗い朝の時間に、新聞を取りに外に出た時、気づいたら無意識の内に歌っている自分がいました。



 ■ 2010/12/21 (火) 桂木山で危うく遭難


昨日、桂木山に登りに行きました。


ネットで、【白糸の滝】の看板が、同時に桂木山の登山口であることを知り、地図を見ながら向かいました。
ドライブが趣味な私は、県内の道は走ったと思ってましたが、今回の道は、初めて走る道でした。

【白糸の滝】の看板が見え、一本道に入っていきました。
そして、白糸の滝に着きました。誰一人いませんでした。
さらに進んで行き、桂木山登山口に着きました。駐車場に車は1台もありませんでした。
(月曜だし・・・あたりまえか・・・)と思いました。


私は、歩いて、桂木山頂上に向かいました。
右が旧道・左が新道で、私は新道に向かって歩き始めました。
車が通れる道でした。
歩いていくと、作業小屋がありました。
(誰かいるのか?)と思いながら近づいていきました。誰もいませんでした。

これからは、山道でした。
私は、山を登っていきました。黒いプラスチックの階段があり、登っていきました。
13分登ると、鉄塔がありました。
(こんなところに、どうやって鉄塔を建てたのだ?歩いて鉄塔の鉄材を運んだのか?)と思いました。
さらに、7分歩くと、また鉄塔がありました。


これから先は、山道というより、けもの道でした。林業人が歩いて出来た道なのでしょう。
迷子になりそうでした。
(引き返そうか?)と思いましたが、「1時間歩けば着ける」とネットに書かれてたので、私は歩き始めました。

険しい道でした。木が切り倒された間を歩いていきました。
迷子になりそうでした。歩き始めた事を後悔し始めました。
(この道、本当に正しいのか?)と思いながら歩きました。半ば、やけくそでした。脳にアドレナリンが充填したような興奮状態でした。

途中で、わかりにくいところがあり、矢印を書きました。
50分後、頂上らしきところに着きましたが、何もありませんでした。
ネットで見た頂上と明らかに違ってました。周り全てが木々に囲まれてました。


私は下山ことにしましたが、あまりにも細い道なので、帰り道がわかりにくい。
(ここで遭難しそうだ?)(よくもまあ、こんな道を歩いてきたな)と思いました。
自殺の名所の1つ・富士の樹海のようでした。
下山する角度が、少しでも間違ってれば、確実に遭難です。

「無職の男・アルファー36歳が失踪?」というニュースを、想像しました。
十数日後、私の車が駐車場で見つかり、「桂木山で遭難か?、あるいは、自殺か?」というニュースを想像しました。
「アルファー、桂木山で死体で発見される」というニュースを想像しました。

(まあ、なんとかなるだろう)と思い、歩き始めました。
私が地面に書いた矢印がありました。
(書いててよかった)と思いました。書いてなかったら、100%遭難してました。

鉄塔が見え、安心しました。
作業小屋まで到着しました。すると、左側に、細い山道がありました。
(まさか、この道が正しい道なのか?)と思いました。
帰って、ネットで調べたら、どうやらその道が正しい道のようでした。登り初めて、作業小屋が見えたら、左右に分かれてるので、右の道が正しい道というブログがありました。

足がガクガクだった私は、正しい道に向かう気力はもうありませんでした。









 ■ 2010/12/20 (月) 荒滝山登山


昨日の日曜日、山登りに行きました。

関東など都会近郊の山は、登山者が多いようですが、
私の地域・県では、山々に囲まれた県であるにも拘わらず、登山者はほとんどいません。

車で40分の459メートルの荒滝山が、目的の山です。

12時に家を出ました。途中少し狭い道を(対向車が来ませんように)と願いながら、ゆっくりと運転していました。
目的地の入り口につきました。
車は、2台駐車してました。

私は、看板を見ると、頂上まで40分と書いてありました。
(まぁ、事前にネットで、登った人が『40分で、たどり着きます』と書き込んでたから、来たんでけど・・・)


登山入り口に、民家が1家ありました。
登り始めた直後、3人の人が下山して来ました。犬を連れてました。
「今日は」と挨拶をしました。
「頑張ってください」と相手は言いました。
私は(民家の住人かな?)と思いながら、登り始めました。

5分後、60歳前後の夫婦が下山してました。「今日は」と挨拶をし、登り始めました。

狭い急な畦道を登って行きました。
私は、下はジーパンで、上は長袖のインナー・袖のないセーター・ジャンパーでした。
登り初めて7分後、暑くて、ジャンパーを脱ぎ、
10分後、袖のないセーターを脱ぎ、
15分後、インナーを脱ぎ、
12月というのに上半身裸で登りました。この日は、気温が高かったためでもありました。汗がだらだら出てきました。
私は、テレビで富士山を登る人の映像を観た時、(暑くないのか?汗がだらだら出ないのか?)と思いながら観ていました。


60歳前後の夫婦からは、誰ともすれ違わず、30分後、頂上に着きました。

空は、いい天気だったのですが、白く濁ってたので、見晴らしは良いとはいえませんでした。
頂上に着き、歩くのを止めると寒くなってきたので、服を着ました。
(澄み切った青空だったら、どんなに素晴らしい景色だったのだろうか?)と思いました。
2週間前に替えた携帯のカメラで写真を撮り、15分後下山しました。


前の太股が震えてました。
小股で歩きました。
登る時は、前後の太股とお尻の筋肉を均等に使い、大股で登ってたのですが、
下山だと、前の太股の筋肉を重点的に使うので、震えてきました。
ただ、汗は出ませんでした。ちょっと涼しいぐらいでした。


40分後、駐車場に着き、車に乗って、帰りました。
帰る途中、前から大型の4WD対抗車が来ました。
狭い一本道だったのですが、すれ違う時は、運良く、幅が広くなってました。
(運がいいな)と思いました。









 ■ 2010/12/17 (金) 枝に積もった雪は、幻想的


今日も、いつも通り6時半に起きました。
(雪は積もってるかな?)と、外を見ましたが、積もってませんでした。
西日本なので、時差の関係で、まだ暗かった。

朝食を食べ、7時まで新聞を読み、7時半までに歯磨きとトイレを済ませ、
テレビを見ながら、8時まで軽めの筋トレをしました。
8時からNHKのてっぱんを観て、8時15分から、1時間半ほど、散歩に出かけました。

夜中は、雪が降らなかったようですが、
日が射してから雪が、降り始めました。
私は、傘をさして、散歩に出ました。コンビニに向かい、コンビニで漫画(週間ゴラクの銀牙伝説オリオン)を読んで、帰りました。

私の地域は、山間の小さな町で、山々に囲まれてます。
雑木林の間を散歩しています。
雪が、枯れ木や葉っぱ枝に、若干積もってるのが、幻想的で綺麗でした。ちなみに、道路(アスファルト)には、積もってません。
(1年経った。また、雪の季節がやって来た)と思いながら、散歩ました。



 ■ 2010/12/16 (木) 36歳と、 相棒(ボーダーライン)


昨日の夜から今日の朝方、私は少ししか眠れませんでした。
寝床に入ったのは、午後10時半でした。起きたのは午前6時半です。
(寝たかな?)と思うと、すぐ目が覚めました。

昨晩は、前より寒くなるか?ならないか?わからなかったせいも少しあるでしょう。
私は、少し寒かったので、電気敷毛布を引いて寝たけど、結局、午前1時頃、除けました。


寝られなかった1番の理由は、今日が私の誕生日だからでしょう。
不安で睡眠が上手く取れませんでした。
何が不安なのか?というと、とうとう36歳、つまり30歳代後半に突入したからです。

家で引き籠もって、36歳を迎えるとは、
16歳の頃は夢にも思いませんでした。30歳になった頃は、内気で大人しい私でも、東京で暮らし、結婚して、子供がいると思ってたからです。
遠い未来のことのように思ってたのに、いざ36歳を迎えると、やるせないです。

寿命が72歳だとすると、半分を生きたことになります。
やるせない・・・。

26歳の頃は、ポリテクセンターに通ってました。
来年になると、溶接工になるため、派遣に登録し、金属加工工場に行きました。希望に満ちてました。でも、3日で止めさせられました。
でも、30歳になった頃は、結婚して、子供がいると思ってました。
もし、そうでなくて今まで通り喪男人生でも、36歳は、遠い未来のように思ってました。

だが、現実に喪男で引き籠もりの36歳になると、苦しい・・・やるせない・・・(私の人生はもう終わった)としか思えません。


誕生日を迎えるということは、死に一歩一歩向かっているということ。
苦しいーーー。
誕生日が楽しかった中学生までの人生が懐かしい。戻りたい。


ちなみに、高校の時は、誕生日プレゼントは、お金を貰ってました。特に、欲しいものがなかったので、小遣いにしてました。

予備校の時は、勉強で誕生日どころではありませんでした。

20歳代の誕生日は、
大学生の時は、ケーキを買って、「ハーピバッスディー、トゥ、ミー」と歌い、独りお祝いしていました。

働いていた頃は、仕事が忙しくて、誕生日の事など、考えもしませんでした。
(そういえば、今日、誕生日だったけ・・・もう、どうでもいいや。あ〜仕事が忙しい。辞めたい)としか思ってませんでした。


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ところで、昨日観た【相棒(ボーダーライン)】は、印象に残る作品でした。



柴田貴史(山本浩司)36歳の転落死体が発見された。手には防御創が。
警察は、自殺と事件の両方を捜査する。

柴田は、去年、企画会社に正社員になれたかと思った途端、首になる。
同時に、女にそれが原因で別れる。

年が明け、企画会社に紹介された工事現場に派遣に行く。
寮つきと聞いてたが、嘘だった。でも、働くが、1ヶ月後、首。
生活保護の申請に行くが、断られる。
医療事務の資格を持ってたが経験が無いため、雇ってもらえない。
兄に助けを求めるが、「真面目に働いてないから首になったのだ」と思いこみ、追い返す。

ネットで生活する。面接が決まっても、内定は取れない。交通費が馬鹿にならない。
名義貸し(違法)をするが、数回した後、ブラックリストに載り出来なくなる。

1日中、試食品・サービス品を食べあさる生活を送る。そのため、就職活動が出来ない。
コンテナに寝起きしてたが、オーナーに見つかり、「契約違反だ」と追い出される。
試食品を配ってた女に、柴田がよく来てたから「買ってください」言われて、試食品を全部持って逃げる。

去年住んでたアパートに、契約者が決まり、住民票が取れなくなった。つまり、就職活動出来ない。

柴田は、社会を恨み、殺されたように見せかけ自殺する。



という内容でした。
柴田は36歳。私と同じ年齢。
私は、柴田を、もう一人の自分のように思い、観てました。
(両親に追い出されたら、私もこうなってただろう)と思うと、涙が出てきました。

ネットで検索すると、今回の内容について、感想を書き込んでる人がいて、
なぜだか親近感がわきました。




 ■ 2010/12/15 (水) 従妹からの結婚式の招待状


今日、私の地域・西日本では、初雪が降ってます。

昨日、母方の従妹から、結婚式の招待状が、両親宛に来ました。
いとこの中では、1番年下です。
(また、結婚するいとこが・・・?)と思いました。

看護婦を除けば、中学のフォークダンスが女性と手をつないだ最後の私は、哀しいです。
この従妹は、私が小学生低学年の時、実家に母の妹と遊びに来ていて、
私が従妹を連れて近所を散歩したことがあります。家に帰った後、従妹は私に親切にしてくれました。彼女は、全く覚えてないでしょう。幼稚園にも通ってない年齢だったし・・・。
でも、顔は全く覚えていません。正月に親戚一同集まったけど、全く覚えていません。


この従妹は、神奈川に住んでます。この従妹の両親も神奈川に住んでいます。
(どうりで、横浜の観光案内のパンフレットがあったはずだ)と思いました。

日曜日、去年無くなった祖父の法事でした。
帰ったら、横浜の観光パンフレットを持って帰りました。
(何でだろう?まぁ、いいか)と、深く考えなかったけど、
(そういうわけだったのか)と思いました。


私は、行きません。
多分、いとこからは、結婚する従妹と同じ年齢だった従妹2人(女2人)が、行くことになるでしょう。



 ■ 2010/12/14 (火) 1歳だった子が、今中学生。哀しい・・・


昨日、私の地域(西日本)では、大雨でした。


私は、車でナフコに行きました。シェーバー(電気髭剃り)を買うためです。

2日前の日曜日、シェーバーで、髭を剃り終わった途端に、壊れました。
突然、動かなくなりました。機動音は聞こえるが、髭を剃るところは動かない。
昨日、カミソリで髭を剃ろうと思ったが、剃ることが出来ませんでした。それで、買いに行きました。
シェーバーを買うのは、今回で3回目でした。


初めての時は、1994年の4月。
私立3流大学に合格し、実家を離れ一人暮らしをする前の日でした。他に、ドライヤーと電気炊飯器を買いました。

お釣りを受け取る時、店員(若い女性だった)が誤って、お金を手から落としました。
その瞬間、私は、手を出し、お金をキャッチしました。
私がキャッチした後に、遅れて店員が手を出しました。
(俺って、何て反射神経がいいんだ!!)と思いました。若い女の店員に(俺って、凄いだろ!)と心の中で言い、自慢しました。
なぜだか、今でも、その瞬間のことを鮮明に覚えています。


2回目の時は、2003年。
初めて買ったシェーバーは、充電式だったのだが、充電しても動かなくなったから、新しく買いました。店にあった1番安いナショナルの電池式のシェーバーを買いました。
で、それが2日前、突然動かなくなったので、昨日、新しく買いに行ったわけです。


ところが、ナフコに行ったけど、1番安いシェーバーでさえ1600円でした。(1000円以下じゃないのかよ・・・)と思い、買うのを止めました。

それで、今度はジュンテンドーに行きました。
すると、シェーバーは1種類しかありませんでした。でも、電池式で980円でした。しかも電池がついてました。
(安い)と思って買いました。貝印のポケシェーバーです。
http://www.kai-group.com/jp/products/item/id/KBI00001026
ネットで調べたら1680円なのに、980円で買いました。



家に帰りました。午後3時45分でした。
車を駐車場に入れました。
そして、向居側の家を見ると、そこに住んでる中学生の女の子が玄関の前で、立ち往生していました。おそらく家の人が、たまたま留守だったのでしょう。
女の子は、大雨の中、玄関の前で、立っていました。

その中学生の女の子を見て、私は哀しくなりました。
【時の流れの早さ】を実感したからです。

私は、大学時代に就活したけど、どこにも受からなくて実家に帰りました。1998年でした。
その実家は、私が大学4年の時に父が建てたマイホームで、私が初めて暮らすこととなった家です。
私が実家に戻った数ヵ月後に、向居側の家が建ちました。
女の子は、当時1歳ぐらい。

それから1年後のある日、私が車で家に帰った時、女の子は道路の前で遊んでました。母も側にいました。
車を駐車場に入れようとすると、女の子は、近くに来ました。
巻き込むといけないので、駐車出来ませんでした。
「その子、見てて」と母に言い、駐車しました。

それから1年後、私は派遣に登録し、実家を離れ、工場に就職に行ったものの、5年後何もかも嫌になり、戻り、
5年間無職。

そして今、1歳ぐらいだった女の子は、中学生。
時の流れの早さを実感し、哀しみのあまり、涙が出てきました。
(俺って、12年間、何やってたんだろう・・・)



 ■ 2010/12/10 (金) 初めて携帯を替えた


昨日、初めて携帯電話を替えました。
【F211i】から、【らくらくホン ベーシックU】です。


2001年1月、派遣に登録し、家を出て関西の工場に働きに出ました。

2001年8月に帰省。この時は、実家(マイホーム)の電話にかけて、帰省するのを伝えました。その時、母が携帯を買ったことを知りました。

2001年12月に、今度は母の携帯に電話しました。
その時、両親とも実家(マイホーム)ではなく、父が働いてる近くの家にいたからです。私はその家の番号は知りません。それで、母の携帯に電話したのです。帰省を伝えるために。
私は帰省する前の日の夕方から、寮の公衆電話から電話しましたが、出ませんでした。15分経ってもう1度、でも出ませんでした。それを10回以上、繰り返した後に出ました。
「見たこともない電話番号だったから、出なかった。父が『アルファーからじゃないか?』と言ったので、出たとのことでした」

帰省し、2002年1月に、私からの電話だとわかるためにと、携帯を初めて買いました。それが【F211i】でした。


私は、滅多にしか携帯を使いません。時計代わりに使うだけです。腕時計だと、手首に合わないからです。私の手首が女性の平均よりも細いためです。


NTTドコモは、movaからFOMAに変わりました。
そのため、3回ぐらい、買い替えるように、パンフレットを送ってきました。
先日来たパンフレットを見ると、「【らくらくホン ベーシックU】なら、オプション付きにすれば、無料で替えることができる」と印刷されてたので、替えました。


【F211i】も、持ってます。
手元から離れるのが、名残ほしかったからです。たまに、【F211i】についていたテトリスもたまにします。

【らくらくホン ベーシックU】は、今のところ、散歩の万歩計として役立っています。



PS
ところで、携帯をかえるの「かえる」の漢字、どれが正しいのだろうか?
「替える」?、「換える」?、「変える」?



 ■ 2010/12/08 (水) 第一子と末っ子の、優秀な人に対する態度


昨日の午後9時から、【コレって、アリですか?】を観ました。
末っ子はどんな性格か?について放映していました。

子供時代の弟(2人兄弟で、末っ子)の事を思い出しながら、(そうかな〜?)と思いながら観てました。
長男で第一子である私は、(バイキングでは、計画的に食べるが、末っ子・真ん中っ子・一人っ子は、違うのかな?)と思いながら観てました。


最後に、{末っ子は、優秀な人を尊敬しその人にくっついて行き、他の人を忘れる}ような事を言ってましたが、
私は、初めて(その通りだな。弟には、そんな所が確かにあったな)と思いました。


ちなみに第一子は、{欠点を探す}でした。
まさにその通りです。

私は、優秀な人は嫌いです。
自分より良い人生を送っている人は敵以外の何者でもありません。スポーツ選手(特に、野球とサッカー)や、自分より背の高い(特に、175p以上の男)、
または、私と同じ外見でも結婚してる奴、つまり私より良い人生を送ってる奴。
敵です。

逆に、自分と同じ人や負けてるって人や老人で、困ってる人は、(自分が助けてあげなければ・・・)と常に考えます。実際に行動は、たまにしかしないけど・・・。

「真ん中っ子は、空気を読むのが上手い」とテレビで言ってましたが、
(それは、第一子も当てはまるのでは・・・?)と私は思いました。私が行動する時、相手のことを考えるからです。
車を運転してる時やウォーキングや自転車に乗っていて、後ろから車が来た時など、
自分がどう動けば、相手が動きやすいのかを考えて行動するから。
「真ん中っ子は、上と下の兄弟の間で、板挟みになってたから、空気を読むのが上手い」と言ってましたが、
(第一子も、親と下の弟妹の間で、板挟みになってた)と思うから。

ただ、独身の背の高い女性スポーツ選手には、敵愾心はわきません。(こんな女性に生まれたかった)と思うだけ・・・。

必ず欠点を探します。

ただ、優秀な人でも、職人の方や、自分と同じ体格のスポーツ選手で年収の少ない選手には、尊敬の眼差しで見ます。


ちなみに、真ん中っ子はとりあえず誉める。
一人っ子は、自分に興味のないことには、関心を示さない。とのこと。


第一子は、
努力しても報われない。
体が思ってたより大きくならない。下の子に抜かれる。
リーダーになりたいと思っても、空回りするだけ。
真面目な子供だったのに、上手くいかず、大人になったら、ろくな人生を送っていない。


第一子以外の人には、わからないだろうな。
第一子以外の人が、「努力が足りない」だとか「上手くいかないのを、社会のせいにする」と言うのも、納得。他の子とは、考え方が違うのだから。

友達も、第一子同士・末っ子同士・真ん中っ子同士・一人っ子同士と友達になるというのも納得。




 ■ 2010/12/06 (月) カーブを終えると対向車が追い越し車線を逆走


昼から、車で職安に行きました。
でも、面接したいとこはありませんでした。やはり、今住んでる場所に問題があります。
それは、山間の田舎で、実家です。

もう少し町中なら、家から通え、面接を受けたいところもあるけど、一人暮らしをする金が無い。あっても、一人暮らしをしていける給料も貰えそうにない。
だから、10年前、派遣に登録し、寮のある工場に職に就いたのだが・・・、
結局辞めた。辞めた理由は、プロフィール参照。



職安の敷地内では、フォークリフトの実技講習をしていました。
私は、フォークリフトの免許を10年前取得した。
でも、募集が無い。倉庫業であっても、実家から通えないし、一人暮らしする給料もない。
「私どもは、あなたに、一人暮らしをさせるなんて申し訳ない。そんなに高い給料は払えない」と10年前、面接で言われました。

講習を見ながら、受講している彼らの会社に「求人出せ!!」と、叫びたくなりました。



帰り、私は、時速75キロで、整備された山の中の道路を走ってました。
途中で、工事中の信号で停止しました。すると、後ろに業務用の車が来ました。
青になり、車を出しました。後ろの車は、ぴったりと後を走ってきました。

交差点の信号機が赤で停止しました。
スーパーカブ90が、右から出て、私の前を走り出しました。
青になり、車を出しました。後ろの業務用の車は、なぜか、ゆっくり走り出し、車間距離が開きました。

時速75キロで走ったためか、スーパーカブ90に追いつきました。スーパーカブ90は、時速50キロで走ってました。
もうすぐ上り坂で、上りの方のみ2車線になるので、スーパーカブ90を追い越さず、後ろにつきました。
すると、後ろの業務用の車が迫ってきました。

上り坂になり、私は追い越し(右)車線に変更し、時速80キロでスーパーカブ90を追い抜き、走行(左)車線に戻りました。後ろの業務用の車も、私と同じようにしました。


そして、右カーブを曲がりきると、
【追い越し車線を、対向車が、逆走して下って来ました】
私は、ブレーキを踏みながら、クラクションを鳴らしました。


すると、後ろの業務用の車は、追い越し車線に出ました。
(このままじゃ、対向車と業務用の車が正面衝突する!!!俺も巻き込まれるかもしれない!!!どうしよう?)と1秒間思いました。1秒が10秒に感じました。

私の車の後ろ半分に業務用の車が来た時、対向車は対向車線に戻り、事故にならずに済みました。
業務用の車は、時速90キロ以上で追い越し車線を走っていきました。前方にいた消防車を追い抜き、走行車線に戻りました。

私は、時速60キロで走る消防車の後ろを走りました。
すると、後ろからスーパーカブ90が時速70キロぐらいで迫ってきました。
スーパーカブ90をルームミラーで見ながら、(チッ!だったら、最初から飛ばせよ・・・だったら、俺は追い抜かずお前の後ろを走り、対向車と業務用の車の正面衝突事故の可能性にも、遭わずにすんだのに・・・)と思いました。

消防車に私にスーパーカブ90の3台は、トンネルそして出た後の下り坂と、時速70キロで走ってました。



 ■ 2010/12/05 (日) 咎狩白を買った


昨日、DVDを返しに行きました。

その帰りに、違う書店(レンタルDVDもある)に寄りました。そこで、新しくレンタル会員になろと思いました。昨日は、新作DVDも100円でレンタル出来た限定日だったから、ちょうど良い機会だと思ったからです。
でも、特に観たい物は無かったので、止めました。
書店売り場に行き、漫画本を探していると、【咎狩白1・2巻】があったので買いました。
この本は、この辺の書店には、なかなか売っていません。


咎狩白は、10年前、少年サンデーに、「お前の罪をよこせ!!」というキャッチフレーズで連載が始まったトガリの続編です。

トガリは、この世とあの世が存在する世界の漫画本。
江戸時代に幾人もの人を殺害した一人の若者・統兵衛(主人公)が、処刑され地獄に落ちた。地獄で300年制裁が行われたが罪を悔いいることはなかった。
そして現在。
地獄から解放するという条件で、悪人に取りつく咎を狩るために、木刀・咎狩を持ってこの世に来た。
そこで、江戸時代には誰一人相手にされることなく疎まれてた統兵衛が、特定の人に優しくされ、人の心を取り戻しながら、咎を狩って悪人を倒していく作品。
途中で、終わりました。


10年前、初めてトガリを読んた時、(今までにない凄い面白い漫画だ!!)と思いました。ただ、一般受けする漫画ではありません。
1年前、なんとなくネットでトガリを検索すると、続編である咎狩白が、コミックフラッパーで掲載が始まったとありました。
そして、半年前、単行本が発売されたとありました。

私は、古本屋で読むつもりだったけど、ありません。
書店にも、なかなか置いてません。
(このままでは、咎狩白はいつまで経っても読めないな。数ヶ月前、偶然書店で見つけたけど、ひょっとしたら誰かが買い、それが書店に置かれる最後になり、もう読めなくなるのでは?)と思い、昨日、買いました。


ところで、コミックフラッパーって、県内にある比較的大きな書店に行っても売って無い。だから、立ち読みもできない。
それもあり、買いました。



 ■ 2010/12/04 (土) Knowingは面白かった


火曜日に借りたDVDは、【ターミネーター4】と【Knowing】です。

ターミネーター4は、1度映画館で観たせいか、(まあ、こんなもんだろう・・・)て感想でした。
だけど、Knowingは、面白かったです。


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●内容は
50年前、アメリカのマサチューセッツのとある小学校で、タイムカプセルが埋められた。
タイムカプセルを提案したのは、ルシンダという女の子。
先生は、タイムカプセルに入れるのは絵に決めたので、「絵を描くように」言ったが、
ルシンダだけは、たくさんの数字の羅列だった。

現在、タイプカプセルが開かれた。
ルシンダの書いた数字を受け取ったのは、ケイレブという男の子だった。
父親は、大学の宇宙関連の先生でジョン。ジョンは、
「全ての物事は、予め決まっている」という【決定論】と、
「全ての物事は、偶然の産物」という【ランダム理論】の講義をしていた。

ジョンは、ルシンダの書いた数字の羅列の紙にコーヒーを置き、その箇所の数字をホワイトボードに書いた。[911012996]と。
私は、911で何かは想像できた。(2001年9月11日のアメリカの同時多発テロと・・・)
その通りだった。

9/11/01/2996と分けられる。01は2001年。2996は死者の数。
ジョンは、ルシンダが50年前に予知してたことに驚き、他の数字も調べる。全て、大惨事の予知だった。
他に[117956434]もあった。阪神淡路大地震である。

その予知の数字の後ろに意味不明な数字もあったが、後でそれは緯度と経度だとわかった。

ジョンは、ルシンダの消息を調べるが、自殺していた。9歳の娘だったダイアナを残して・・・。
ダイアナと、彼女の娘アビーに会いに行くが、
ダイアナは、ルシンダの予知能力を話すと、気持ち悪がれ逃げるが、飛行機事故の後、彼女は、ジョンの元を訪れる。

ジョンの息子ケイレブと、ダイアナの娘アビーには、共通の事があった。ささやき声が聞こえるというもの・・・。
そして出てくる謎の男。彼らは、ケイレブとアビーに「一緒に行こう。君たちは行ける」と言う。

ジョンと、ダイアナはルシンダの最後の数字33は、アルファベットのEEだと気づく。それは、Everyone Elseだった。その他全員死ぬということに・・・。

ジョンとダイアナは、謎の男が、子供たちに危害を加えると思い、遠ざけようとする。

謎の男たちは何者なのか?
地球の運命は?
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これから先を知りたい人は、DVDを観てください。
私が思った通りの展開になりました。
ただ、最後は思ってたのと違った。ささやき声が聞こえたのは、ケイレブとアビーだけではなかった。


4月に観た【バタフライエフェクト】以来の面白い作品でした。
当時の日記を読んでみると、スーパーカブの話を書いていた。職安の行きと帰りに偶然そのカブの後ろを車で走った話。
4月だったことに驚きました。8ヶ月も経ってたからです。3ヶ月ぐらい前だと思ってたから。



 ■ 2010/12/03 (金) てっぱん


今日のNHKの朝の連続テレビ小説【てっぱん】、

あかりの産みの母である千春の最後の遺言で、
あかりの本当の父が判明するのかと思いきや、「あかりとお母さんのお好み焼きが食べたい」が、千春の最後の言葉。

(はァ〜!?)と思いました。
私は、この一週間、「あかりの父親は誰か?」を楽しみに過ごしてたのに・・・。







 ■ 2010/12/01 (水) 危うく事故に


昨日、レンタルDVD店からの帰り。

私は、いつもは出来るだけ遠くの駐車場に駐車するが、
昨日は、近くに駐車しました。

左側に店があり、人が出てきます。
私の左隣には大型の自動車が駐車しており、私からは、人が来るかどうか死角で見えません。
ゆっくり出ていくと、おっさんと婆さんが、すぐ左に(左側の大型自動車の前)にいました。2人は、立ち止まることもせず、歩いてきました。

私だったら、絶対止まります。
エンジン音が聞こえた瞬間、どの車から聞こえたのか?動くかどうか確認します。

あの2人、怖かった。危うく出会い頭の事故になりかけた。「なんで、立ち止まらねえんだ!?」と叫びたくなりました。
同時に、(やっぱり、出来るだけ遠くの駐車場に駐車しなければなぁ)と思いました。
私は、バックで駐車しますが、
この辺の地域では、たいていの人達は、前進で駐車し、バックで出ていきます。
私には、出来ません。バックで出ると、人が来るかどうかの発見が難しいから。

(事故り現場検証をし、もしアダルトDVDをレンタルしていて、それが車から出てきたら・・・)と思いながら去りました。



帰る途中、黒猫が、右(対向車線)側から横切りました。
対向車が来る直前でした。
私は、5秒ぐらいの余裕があったから、余裕をもってスピードを落とせたけど、
対向車は、急ブレーキでした。
ギリギリぶつかりませんでした。



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