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アラフィフ喪男の花粉症日記

この日記は、
中国山地にある小さな町在住の49歳の日記。

[悩み]
・冬は超冷え性、春は超花粉症、夏は汗かき。

 ■ 2011/01/31 (月) 雪の日、タイヤにチェーンをつけた思い出


今日、6時半起きて外を見ると雪が積もってました。
7時15分まだ薄暗い中(西日本なので、東京とかと比べれば、日の出は遅い)、新聞を取りに外に出ると、
小学生たちが、男子は半ズボン・女子はひざ上数cmのスカートの制服(私の県では、田舎の小学校は制服が多い)で、足を露出させて、学校へ行ってました。
(元気やなぁ)と思いました。

私は、ズボンの下に、ズボン下を穿いて出ました。冬は常時穿いています。
そんな私でも小学生の頃は、今の小学生と同じ格好で登校してましたが・・・。

ちなみに、ズボン下を穿き始めたのは、10年前の、関西の方に働きに行った時からです。冬はもうやめられません。


8時15分から、散歩に出ました。行き先は、コンビニ。漫画雑誌を立ち読みするためです。軽い運動も兼ねてます。
雪の歩道を歩きました。
私と同じ住宅地に住んでる小学生がたくさん歩いたのでしょう。歩道に積もった雪が、全て踏み固まっていました。

車道も同じです。タイヤで踏み固まってしました。
日頃、県内では、たいていのドライバーはぶっ飛ばします(県内のドライバーは、テレビの交通警察24時でスピード違反で検挙されるドライバーなどより、遥にぶっ飛ばします)が、
今日は、時速30キロ未満でゆっくり走っていました。

10時路を、右折すると小学校。まっすぐ行くとコンビニ。
私はまっすぐ行きました。歩道に積もった雪は、ほとんど積もった状態のままでした。

9時前にコンビニに行き、15分くらいして出て、家に向かいました。
その15分の間に、雪はかなり解けていました。
小学生が踏み固めた雪道に、作業員が塩をまいてました。雪を溶かすためです。その道を歩くとかなり滑りました。

だんだん晴れて来ました。そのため、昼ごろは、アスファルトに積もった雪は(日が全く当たらない箇所を除き)解けて、アスファルトは乾いていました。
私の地域では、雪の日は、だいたいこんな感じです。
雪が降り積もった朝は、晴れで、昼には解けてなくなります。

午後3時頃には、朝積もっていた雪の95%はすっかり解けて消えていました。
帰宅している小学生達は、わずかに残った雪で、遊んでいました。



13〜11年前、私はゴルフ場のレストランの厨房でアルバイトしてました。
おばさんだらけの職場だったので、1人の男子大学生が辞めた時に、アルバイトの男は私だけになって辞めました。

ゴルフ場だったので、雪が降った日は、臨時休業でした。
そのため「雪が降ったら来れないでしょ。だから、不採用です」ってことはありませんでした。

13年前、雪が積もった日の朝に1度、私はよく車のタイヤにチェーンを1時間かけてつけて、ドライブしました。
でも、朝11時以降に出てたので、ほとんど雪は解けていて、15分で帰ったという思い出があります。
チェーンをつけたのは、その1度のみです。



 ■ 2011/01/30 (日) サッカーでどこか面白いの?


今日朝起きて、ニュースを見てたら、サッカーアジア大会で日本が優勝したと出てました。
私は、全く興味が無いので、大会があったことすら知りませんでした。

真夜中、日本の優勝が決まったとき、渋谷ではサポーターが騒ぎまくってた様子が流れました。
(馬鹿じゃない)としか私は思いませんでした。
その理由は、サッカーにちっとも面白みを感じないからです。


私は、学校1の鈍足というぐらい足が遅いので、走りに興味はありません。
ちびで非力なので野球に興味はありません。バットに当たっても、せいぜいピッチャーごろ。
むしろ、体格に恵まれた短距離の選手や野球選手が憎いです。
運動音痴の私にとって、スポーツ観戦をする人は馬鹿としか思えません。
特に大金がもらえる選手は・・・。


ただ、サッカーだけは別の理由で面白くありません。
私が運動神経が良くても、世界で活躍するサッカー選手の年俸がそれほどでなくても、興味は持ちません。
サッカー自体に面白みを感じないからです。

サッカーって観ててどこか面白いのかまったくわかりません。
私にとってサッカーは、この世で最も面白くないスポーツ。

ただ、ボールを蹴ってゴールに入れるだけ。
ボールがゴールに入れば、馬鹿みたいにはしゃぎまわる選手と応援している人達。
選手がいい成績をすれば、大金を獲得する。それに疑問を持たない人達。(こいつら馬鹿じゃないのか?)とつくづく思う。



 ■ 2011/01/29 (土) 32インチ薄型液晶テレビが来た


今日の昼ご飯は、皿うどんでした。
今日の12時に、32インチ薄型液晶テレビが来ると連絡が来たので、昼ご飯を用意して待ってました。
でも、なかなか来ないので、皿に盛りつけました。
同時に、デオデオの人がテレビを持って来ました。

薄型液晶テレビの画面は綺麗です。
ブラウン管でデジタルチューナーでデジタルテレビの画面よりも、遥に綺麗です。

今まで使って壊れた2000年製の32インチブラウン管テレビと、まだ使える94年製の14インチブラウン管テレビを引き取って貰いました。



午後から雪が降ってきました。
しばらく寒い日が続きそうです。
この寒さが終わった日が、私の今年の花粉症の始まりでしょう。
毎年この時期、朝目覚めて(おや?今日は、暖かいな)と思った日が、私の花粉症の始まりの日です。鼻水が出てきて、止まらなくなります。

今年は、去年の10倍の花粉だとか・・・。
面接に行って、鼻水が出っぱなしでも、受かるのでしょうか?

以前、病院に行って花粉症の症状を診察して貰いましたが、「アルファーさんほど、酷い花粉症の人は今まで見たことがない」と言われました。
それだけ、私の症状は酷いのです。



 ■ 2011/01/26 (水) 14インチブラウン管テレビ


午後4時に、デオデオの人が来て、映らなくなったテレビを見ました。
「10年ですか〜。修理は無理ですね。薄型テレビを買った方が安いですよ」と。

映らなくなったテレビは、32インチのブラウン管テレビです。デジタルチューナーが出来るテレビです。

テレビを買いに、小さなデオデオ店に行きました。
28インチと32インチと、それ以上の大きさの薄型テレビを売ってました。
28インチと32インチのテレビの値段は、49800円でした。
32インチのテレビを買うことにしました。1週間後に、届きます。


その間、家にあるあまり使わないテレビを使うことにしました。
14インチブラウン管テレビです。
(うわ〜、マジ小さい・・・)って思いました。

私は大学の4年間、同じ大きさの14インチブラウン管テレビを使ってました。
当時のテレビの説明書が残っており、確かめました。
(大学の時、こんな小さなテレビを使ってたのか〜・・・)って思いました。


でも、しばらく観ていると
(そういえば、こんな大きさだったなぁ)と懐かしくなりました。
テレビ台は、大学時代の物です。ビデオデッキがなんとか入るぐらいの横幅です。
テレビ台とその上に置いてある14インチブラウン管テレビを見ていると、大学時代の懐かしさのあまり涙が出てきそうになりました。
36年年の人生において、最も楽しく気ままに過ごせたのは、大学だけだからでしょう。

大学時代は、1人暮らしだったけど、寂しくなかった。20代はほとんど1人暮らしだったけど、その方が良かった。
だが、なぜだか30歳を過ぎた途端、1人暮らしが寂しくなった。



 ■ 2011/01/26 (水) 聖書を売ろうとした女


一昨日、小学生の女の子が切りつけられる事件がありました。
その犯人は、もう捕まりました。
私と同じような人生を生きている男でした。
一皮剥ければ同じようだけど、
妄想するだけか、実際に実行するのかは、全く別の事なのです。


で、今さっき、チャイムが鳴りました。
私は外に出ず、インターホンで話しました。声の感じから、30代以上の女でした。
「ボランティアで、この近所をまわってる者です。小学生の女の子の事件があったでしょう」と言ったので、

(見回りの参加を呼びかけてるのだろうか?だとしたら、断ろう)と思いました。

すると、「聖書を」と女は言いました。
私は、「いりません」と言って切りました。

この事件を利用して、聖書を売ってるということでしょう。
(最低な女だ)と思いました。



ところで、今日の朝、10年前のデジタルチューナー対応のブラウン管テレビを観てると、声は出るけど画面が映らなくなりました。
青い画面のままでした。
デジタルチューナーで、デジタル放送に切り替えても駄目でした。
(アンテナが悪いのだろうか?)と思い、ビデオを見ても駄目でした。
となると、テレビ事態が悪いということでしょう。




 ■ 2011/01/25 (火) 宇宙戦争→絶滅の島→週刊ストーリーランド→みんなの願い


先週【宇宙戦争】を観ました。

宇宙人が攻めてきた。
地球人は最新兵器で応戦するが全く効かない。
なすすべがなく、逃げまどう地球人。
ところが、宇宙人は突然、全員死んだ。
宇宙人を倒したのは、微生物。地球の空気で呼吸し、体内に微生物(病原菌)取り込み、免疫がないので病死した。

が大まかな話です。



これを観てた時、私は、藤子F不二雄の【絶滅の島】を思い出しました。

シンイチ・カオリら27人は一昨年の夏に秘島ツアーで離島に来て以来ずっと住んでいた。そこで、「この島のヤモリの黒焼きが肺病に効くという迷信から、全て捕獲され絶滅した」話を聞く。
ずっと離島で住んでる訳は、宇宙人が攻めてきたから。離島に隠れている。
地球人は応戦するが全く効かない。焼き殺されていく。
離島で生き残っていた25人も、宇宙人によって焼き殺されていく。
最後、シンイチとカオリが残ったが、2人も捕まった。だが、2人は殺されなかった。
環境省の巡視官の宇宙人が助けたからである。

「チキューケナシザル(人間)は保護獣に指定されている。密猟者は逮捕する」と助けた宇宙人。
「すみません。ケナシザルの黒焼きは、円形脱毛症に効くと聞いたので」
「それは迷信だよ」
ガックリする地球人を殺しまくった宇宙人。
地球を去っていく。
「ぼくたち宇宙人。みんな友だち」

が大まかな話です。
私が、この話を読んだのは、2004年頃です。
この話は、映画・宇宙戦争を観てるとき(宇宙戦争のパロディーなのだろうかな)と思いました。
http://www.geocities.jp/fff_fansub/

この絶滅の島、1999年から2001年テレビ放映された【週刊ストーリーランド(アニメ)】にも出たそうです。
少し内容は変わってます。
地球人は宇宙のダイヤモンドと呼ばれ観賞用に捕まっていた。悪質な密輸団の宇宙人の仕業だった。
だが、銀河系環境保護委員会の宇宙人が助けに来て、地球人全員解放された。
という内容です。



私は、その頃、週刊ストーリーランドを毎週観てました。
面白いアニメでした。藤子F不二雄の大人向け短編漫画に似ているところがありました。

週刊ストーリーランドで、私が1番印象に残ってるのは、【みんなの願い】です。

宇宙の創造主が
「地球のみんなの願いを1つだけかなえる。一週間後に心の中で願いなさい。その中で最も多い願いを、地球のみんなの願いとしてかなえる」
と言った。
国際会議が開かれ、どんな願いにするか議論されたが、争いになり、
「願いなどいらない。願いというものは自分でかなえるものだ」という結論に達し、人間みんながそれに賛同した。

(ここまでは、良い話だな)とテレビを観てた私は思いました。

一週間後、「願いなどいらない」と人間達は願った。
人間は全員消えた。人類は滅んでしまった。
そして後には、地上は動植物達の楽園に、自然豊かな地球になった。
そう。地球のみんなには動植物も含んでいて、その動植物の願いが、【人類を消す】だった。

が大まかな話です。


【宇宙戦争】を見終わった時、以上のことを思い出しました。



 ■ 2011/01/24 (月) レッドクリフ・パート2の感想


レッドクリフ・パートUの感想。


私は思ってたことは、(小喬、さっさと殺されて死ねばいいのに)だけです。
後半、ずっと思ってました。
最後に生き残ったのを観た時、無性に腹が立ちました。

理由は、
小喬が美貌で曹操を騙したからです。
風向きが変わるまで時間稼ぎしたり、お茶に痺れ薬入れたりなど、全く持って卑怯な手です。

私は正義の心がある方ではありませんが、
レッドクリフ・パートUを観てる時、普段眠っている正義の心ってやつが、ムクムクと頭をもたげてきました。

フィクションでこんなにむかついたのは、久々です。



小喬を演じていた林志玲の顔にもむかつきました。曹操の気分が悪くなった時の笑い顔、嫌な女って感じがしました。
演技なのでしょうが、実際にこんな女がいたら、1番むかつく女でしょう。



 ■ 2011/01/22 (土) 10年前の今日2001年1月22日


10年前の今日(2001年1月22日)は、月曜日でした。
この日、私は溶接工になるべく、実家を出ました。


「ポリテクセンターで溶接習ったぐらいじゃ、現場じゃ通用しないよ」
「雪が降ったら、来れないでしょ」私が、近くに住みますと言うと、「給料も低いのに大卒のアルファーさんには、申し訳ない」
と、県内の溶接求人の所は全て断られ、
80qにある職安で、派遣で、未経験者可・研修有り・寮有りの求人を見つけ、面接にあっさり受かり、
実家を出ました。

(この辺のような山間の小さな町じゃ、女性と出会う機会は全くない。結婚どころか女知人すら出来ない。溶接の仕事も無い。それなら、実家を出た方がいいだろう)と思い、実家を出ました。



この日は、雪は降ってました。
朝5時に家を出ました。
車で駅まで行きました。
途中、大型トレーラーが横転していました。

新幹線の駅に着き、父が「選別だ」と言って、防寒用の手袋をくれました。

新幹線に乗り、新大阪まで行きました。そこから、研修センターへ向かいました。
昼前に着きました。
吉野屋で牛丼を食べ、
午後から、溶接の研修を始めました。

研修が終わり、研修センターの人に、寮まで送ってもらいました。徒歩10分ぐらいでした。
タワーマンションで、1ルームでした。
近くを散歩し、定食屋で晩飯を食べ、研修センターとタワーマンションの間にある公衆電話で家に電話をし、コンビニでパンとポカリスエットを買い、寮に戻りました。

やることが無くなりました。
ベランダに出て、大阪の街を眺めました。
私は(今のこの状況って、東京じゃないけど、私が求めてた都会の生活だよな)と思い、しみじみと感傷に浸ってました。

その夜は、冷蔵庫の音や、久々の1人暮らしなので緊張してたのか、一睡も出来ませんでした。



あれから、もう10年。その間の人生はプロフィール参照。
私は無職で実家に引きこもっている。
あの時の手袋は、今の寒い時期、散歩の時に使っています。

外に出れば、朝7時頃など10歳以下の小学生を見ます。朝8時半頃散歩に出るとスクールバスに乗った幼稚園児を見ます。
10年前、私が旅立った後に生まれた子供達です。
10年前、ここにいても女性とは縁が無かったので旅だったのに、周りには、10歳以下の子供達だらけ。私が旅立つ10年前、まだここに住んでた高校生あるいは中学生だった女の子が母親でしょうか?無性に悔しい・・・。



 ■ 2011/01/21 (金) こちら捜査2課の者ですが、あなたの預金口座が不正に使われた


【「こちら捜査2課の者ですが、あなたの預金口座が不正に使われた疑いがあります。
今から、刑事が行くので、その刑事にキャッシュカードの暗証番号を教え、預金通帳・ハンコ・キャッシュカードを渡してください。
我々の方で、調べますから」

あるいは、「こちら銀行協会の者ですが、・・・・・」

と、電話がかかって来て、刑事or銀行協会から来た、と名乗る人が来て、キャッシュカードを渡す詐欺が今はやってるそうです。
当然、キャッシュカードを受け取った人は、2度と戻ってきません。

電話先は外国であるため、逆探知出来ず場所の特定は出来ないとか。
セブン銀行で預金を引き落とされるそうです。

オレオレ詐欺にはひかからないが、
警察を名乗れば、信用せざるをえない】


というニュースを今朝観ました。


家に入れ、(おかしい?)と思い断ると、居直り強盗になるやもしれません。
老人、一般的な女性、私の小柄で弱そうな男性は、家に入れたら最後です。
みなさん気を付けましょう。



 ■ 2011/01/20 (木) ALWAYS 3丁目の夕日


ヤフーのトピックスで、【ALWAYS 3丁目の夕日】第3段が、来年公開されるとありました。1964年の話だそうです。
茶川竜之介と石崎ヒロミのその後は、どうなってるのでしょうか?楽しみです。
初め観た時、鈴木則文の鈴木オート(自動車整備工場)から、自動車会社スズキの話だと思いました。



ところで、茶川竜之介役の吉岡秀隆だけど、
彼は、私は好きな男性俳優の1人です。私とどこか似てるところがあるから。

彼が出ている作品と言えば、まず【寅さん】でしょう。
これは、以前、NHKのBSで、全て放送された年があったから、全シリーズ観ています。

大学3年の11月、その年は、渥美清が亡くなった年でもありました。
旅行で東京に行き、帝釈天に行きました。でも、誰1人あの通りをあるいていませんでした。ちょっと、寂しかったです。
適当にお参りをしてると、どこからともなく、近くの住んでいるであろう老婆が現れて、叱られました。

他の作品は、【北の国から】でしょう。
私は1度も、どのシリーズも観たことはありません。
いつか観てみようとはおもってるのだけど・・・。



 ■ 2011/01/15 (土) センター試験が始まりました


今日、全国各地でセンター試験が行われました。
この試験を突破出来る人は、本当に勉強が出来る人なのでしょうねえ。


私は、小学生の時は、国語以外は100点取って当たり前でした。
【学研のはつらつ】って教材をテスト前日と、その朝午前5時に起きてやってました。
小学校1年の時、会社員専用のアパートに住んでいて、同じアパートの小学生達がみんな【はつらつ】をしてたので、私もやりました。
算数が1番好きでした。

塾に行く小学生を、馬鹿にしてました。最近までです。
私は、進学塾に通ってる小学生が、公立高校の受験問題と同レベルかそれ以上の勉強をしてるなんて、思いもしませんでした。
そして、有名私立中学では、平凡ランク高校のレベル以上の勉強をしてるなんて、思いもしませんでした。

私は、公立中学までは、現代文以外トップクラスでした(現代文のみ平均以下)が、
平凡ランク高校では、全教科何とか中間を維持するのがやっとでした(現代文のみ平均以下)。
全国模試もセンター試験も、私が理解できるレベルを、遥に越えています。



その頃(1990年前半。私が高校、予備校、大学1年の時)、好きだったアイドルはCOCOの羽田恵理香です。
当時を思い出し、初めてネット検索してみましたが・・・。
今、何をしてるかよくわからない。




今日、町の2階建ての百貨店に寄りました。1階はスーパー、2階は衣服。
1階に、小さな書店があるので、そこに行こうとしてる時、
25歳前後の身長185pくらいの体格のいい営業マンに、いきなり「今日は」とでかい声で、話しかけられました。
何かの営業をしてました。男は体格のいい営業マン1人で、後は40歳ぐらいの営業レディーが数人しました。
私は、怖くて逃げました。

書店で、本を読んでると、男の営業マンは、他のお客(おばさん)に声をかけてました。
何分か話してました。

この男が、スーパーの中ならともかく、家に訪問営業に来たのならたまりません。
168pの私にとって、175pなら羨ましい程度ですが、
180p以上は化け物です。怪物です。さらに、体格がいいなら、本当に恐怖の存在です。お化け屋敷のお化けなどには全く恐怖など感じませんが、恐ろしい生き物です。

営業マンと言えば、こんなでかい男が多いのはなぜだろう?
買う方は、どうみても、無理やり買わされたでしょう。
営業マンは、自分の誠意が通じたとしか考えないでしょう。でかい奴って、自分本位の考えしか出来ない奴だらけだから。

(おい、百貨店。なんで、小さな町の百貨店の中で、営業などさせてるのか?
せめて、170p以下の普通の男に営業させろよ)と思いました。



 ■ 2011/01/14 (金) 職安でと、ミノタウロスの皿


昨日、県庁所在地にある職安で、いろいろ求人を見ました。
行ってみたい所は幾つかあったけど、場所的に無理。

基金訓練の案内を見たけど、さらに場所的に無理。
通えないことは無いが、交通費(ガソリン代)が、洒落にならないくらいかかる。


職安を出て、マンガ倉庫に行って、藤子・F・不二雄の短編集漫画を読みました。
ミノタウロウの皿が面白かった。

8年くらい前、県外で働いてた時、休日、書店でよく読んでしました。



ミノタウロスの皿の内容

ーーーーーー
牛が支配する星に、1人の地球人が不時着した。
人間もいた。話せる。当然、牛も話せる。牛と人間の知能は同じ。


牛は、人間を家畜し、
労働に使ったり・ペットにしたり・食料にしていた。
人間は、牛に食べられることを当たり前のように思って暮らしていた。

地球人は、その星で、人間の美少女に助けられ、その星の生活を教えてもらった。
牛は、地球人を、自分と同レベルの人物として扱われた。

美少女は、最も美しい女の子のため、もうすぐ食べられることになった。
美少女は「名誉だ」と喜び、彼女も親も誰もが、祝福した。
当然、地球人には理解出来なかった。

地球人は、牛に残酷だから止めさせようとしたが、
「人間が食料になるのは当たり前だ。地球人の言ってることは、わからない」と牛は言った。

地球人は、美少女に「死ぬのが怖くないのか?」と言った。
美少女は、「怖いわ」と言った。
「だったら、逃げよう」と言ったが、
「食べられない方が、名誉が失われるから、もっと怖いわ」と言った。


当日、
地球人は、銃を持ち乗り込んだ。
美少女に「助けてくれと言ってくれ!!」と叫んだ。
美少女が「助けて」と言ったら、銃を使い、牛を撃ち殺すつもりだったが、
「来てくれてありがとう。美味しく食べてね」と美少女は言った。

美少女は食べられ、
地球人は、宇宙船が迎えに来て地球へと向かった。宇宙船内で、牛ステーキを食べながら・・・。
ーーーーーーー

という内容です。
私は、藤子・F・不二雄の漫画には、大人向けのダークなSF漫画もあります。
私は、その方が好きです。



 ■ 2011/01/13 (木) 恐怖の国道停車


今日、県庁所在地の市の職安に行きました。

私の県は田舎の県で、バスも電車も少ないです。
だから、車社会の県です。20歳以上全ての人で、超高齢者を除く全県民が、1人1台の車を所有していると言っても過言ではありません。

職安は、片道2車線の国道沿いにあります。
東から西に向かって車が、時速70キロで走っています。ちなみに職安を過ぎた交差点が高速のピークで、そこから、スピードは60キロ以下になります。

私は、交差点をUターンして、職安に着きましたが、職安の駐車場が満車で、国道に車が5台停車していました。
私は、国道に停車するのが怖くて、職安に入るのを止めました。
交差点をUターンしたため、私の後ろに車がいなく、余裕で右車線変更出来ました。

一回りし、また職安に行きました。
今度は、国道に車は停車してませんでした。
私は、左方向指示器を出して、スピードを緩めました。
職安に入ろうとすると、歩道を横断して車が停止しており、私は入れませんでした。
私は、迷いましたが、出来るだけ左に寄り停車しました。

バック(ルーム)ミラーを見ると、後ろから、時速70キロで車が迫ってました。
左車線を走ってた車は、右車線に車線変更したり、せずに私の右をすれすれに走ったりしてました。
みんな上手く私を避けてました。私は、車線変更が大の苦手です。あんなに上手く出来ません。

私には、2つの気持ちがありました。
(今にもぶつかりそう!?)という交通事故への恐怖感と、
左車線を走ってくるドライバーへの、(申し訳ない)という気持ちです。

どうにか、ぶつからずに済みました。
歩道に車が入っても、駐車できるわけではなく、20分ぐらい待ってました。
バックミラーで国道に停車してる車を、(交通事故が起きませんように)と思いながらみてました。

車を駐車し、職安に入りました。


2キロ先に、大きな無料駐車場があります。
(そこに駐車すれば良かった)と思いました。今度から、駐車場が満車だったら、そうしよう・・。



 ■ 2011/01/12 (水) 炎の体育会


昨日、TBS系で、午後9時から、【美女アスリート総出演炎の体育会】を観ました。

1番印象が強かったのは、最後のシュートボクシングのRENAさんです。
(めちゃくちゃ強え〜)と思いました。
シュートボクシングという格闘技があることも初めて知りました。
正直、地上波テレビ放送されるプロボクシングやk1やプロレスや柔道より、面白かったです。

RENAさんのブログ見てみました。テレビ放送の後、コメントがたくさん寄せられてました。
ファンになった方々多いでしょう。


ブラジリアン柔術の、キーラ・グレイシーさんも凄かった。
でも、それ以上に、対戦したサバンナ八木にも驚きました。私は(地面に向かって、「ブラジルの人、聞こえますか?」と叫ぶしか能の無い、ただのつまんない芸人)としか思ってませんでした。
しかも立命館卒だし・・・。私と同じ年齢。私は底辺の大学しか行けなかったのに・・・。


私は、テレビを見ながら、
(女子バレーボール選手のような背の高い女性か、格闘家の強い女性か、いや両方だな)
この2つの要素をもった背が高い格闘家の女性になった妄想をずっとしてました。



 ■ 2011/01/11 (火) 散髪とハローワークでの出来事


昼、母が買い物から帰ってきました。いろいろなお菓子を買ってきました。

私は、【お菓子のシアワセドー いしやきいも】を食べてみました。初めて食べました。一口サイズのさつまいも饅頭で、とても美味しいお菓子でした。
1つだけ食べました。(毎日、少しずつ食べよう)と思いましたが、午後4時半、家に帰ると、2つしか残ってませんでした。ガッカリ・・・


午後、雨が降ってました。
私は、30qの所にある海辺の小さな町のサンキューカット(散髪店)に行きました。
山間の道を走りました。峠付近に入ると雪に変わりました。雪が積もってました。でも、車道には、積もってなかったので、ノーマルタイヤでも大丈夫で、安心しました。
峠を越すと、晴れてきました。

サンキューカットに入りました。
そこの店員は、全員女性です。若い女性が多く、綺麗な女性だらけの店です。彼女達に髪の毛を切って貰うのを楽しみに行っています。
だけど、中年女が2人いて、交互に出勤しています。多分、店長と副店長なのでしょう。その中年女が担当になれば残念です。
若い女性の方が多いのに、私の担当は、なぜか中年女になる事が多いです。

3人店員がいました。2人は若い女性。(この2人のどちらかになりますように)と願ってたけど、中年女が私の髪を切る担当になりました。ガッカリ・・・。


サンキューカットを出て、海辺を散歩し、
その町にあるハローワークに寄りました。仕事を探すのが目的では無く、ひまつぶしです。

入ると、6人いました。
若い女性が2人いました。どちらも20代前半で、清楚な女性と、とても綺麗な女性でした。2人とも、私の好みの女性でした。
(ラッキー)て思いました。
私は、求人票を見始めました。小さな町のハローワークなので、パソコンではなく、印刷された紙の求人票の束です。
求人票を見ながら、彼女達とつきあってる妄想を始めました。


私は、清楚な女性の左手の薬指を見ました。
タイプの女性がいれば、左手の薬指を必ず見ます。指輪があるかないかを確かめるためです。指輪がしてありました。
(まさか、こんな若く清楚な女性が、もう○o○○したのか)と思い、ガッカリしました。
声をかけるわけじゃない。ただ、つきあってる妄想するだけだけど、もう○o○○した女だと、つきあってる妄想は即止めます。
もう一方の女性を見ました。私の位置から左手は見えませんでした。

私は、製造・労務の求人票を見始めました。
しばらく時間が経ちました。
2人の若い女性は立ち上がりました。


5分ぐらいして、私も立ちました。
私は、壁にある求人の帯(簡易な求人内容が印刷している)を見ました。
すると、もう一方の若い綺麗な女性が私の隣に来ました。すると、彼女は、168pの私よりやや低い164pぐらいでした。(背が高いなぁ。でも、これぐらいがいいかも)と思いました。

彼女は、私の前にあった求人の帯を2つ取り、受付に行きました。
職業の種類を見ると、労務でした。(マジか〜?)って思いました。
相談室の人が、求人の帯を持って来て、元の場所に戻しました。
見ると、【ゴミ収集トラックの運転手】と【ボーリングマシンオペレーター】でした。(何?この女性)と思いました。
私はイスに座りました。

相談室の人(中年女)は、彼女に「本当に、この仕事でいいの?まあ別に女性でもいいい事はいいんだけど本当にするの?」って言ってました。
2分ぐらいすると、彼女は戻ってきて、私の右隣に座り、求人票を見始めました。
彼女の左手の薬指を見ました。
指輪がありました。
(チッ!この女も、もう○o○○した女だったのか・・・)と思い、帰ったら丁度いい時間だったので、帰りました。




 ■ 2011/01/11 (火) ホームアローンと、10歳のマコーレ・カルキン


昨日、テレビ東京系列の番組で午後8時から、
【ホームアローン】を久々に観ました。
クリスマス、家族が親戚とフランスに旅行に行ったが、10歳の少年が、独りおいてけぼりにされた。
その家を狙う2人組の泥棒がいた。
少年が家を守るために、泥棒とたたかい、退治する話。

この映画は、1990年にアメリカで出来た作品です。=昨日、成人式だった人達が生まれた年に作られた作品です。
だから、昨日、この映画をしたのでしょうか?


主人公の【マコーレ・カルキン】は、当時10歳でした。
今は、30歳ですが、
私には10歳の【マコーレ・カルキン】(1992年のホームアローン2に出演してた12歳の時も含む)しか、頭にありません。

その後、彼がどんな人生を歩んだのか?全く知りません。今の顔も知りません。
だから、日記に書き込む前に、ネットで検索してみました。
私の記憶とは全く別の人で、(これがマコーレ・カルキン?)て思いました。

当時私は高校1年。
あの頃は、冴えない高校を送ってたものの、将来に希望に満ちていた。
まさか、こんな無職で喪男の人生を送ってるなんて、夢にも思わなかった。



ところで、テレビ東京系列の番組がもうすぐ観られなくなります。
私の地域では九州放送ですが、
この局は、アナログでは、映るけど、
地デジでは、私の地域に電波が届かず、映らないからです。
悲しい・・・。




 ■ 2011/01/10 (月) 浅井三姉妹は歴史の神に操られてた?


昨日、NHK大河ドラマ江を観ました。
大河ドラマを観たのは初めてです。

江とは、戦国を生きた女達の1人で、浅井三姉妹の末っ子。織田信長の妹・市の子供で、後の、2代将軍・徳川秀忠の妻です。
長女は茶々・後の、豊臣秀頼の母・淀君です。次女は初・京極高次の妻です。


私は、小学校の頃の昼休みは図書館で、学習漫画・日本の歴史を読んでいました。それで、日本の歴史に興味を持ちました。
高校は、世界史・日本史・地理のどれかを選択するようになっており、日本史を選択しました。
大学受験も日本史でした。日本史でなんとか合格できたようなものでした。他に受けた大学は、英語・国語の2教科で、日本史は無く、全て落ちました。

そんなわけで、私は日本史が好きでした。


でも、私は、大学受験の勉強をしてた時でさえ、浅井三姉妹については何も知りませんでした。
織田信長の妹・市は知ってたけど、市が、戦国の世でどんな人生を歩んだか全く知りませんでした。
市が浅井家に嫁いだ事も、市の娘・三姉妹についても知りませんでした。
知ってたのは、織田信長・徳川軍と浅井・朝倉軍が、姉川の戦いをしたことぐらいです。

学習漫画・日本の歴史に、豊臣秀吉の息子・豊臣秀頼の母として、淀君は出ています。でも、織田信長の姪とは知りませんでした。
江に至っては、何の知識もありませんでした。

豊臣家に嫁いだ長女・淀君と、徳川家に嫁いだ三女・江の争い。
それをなだめようと、2人の間で翻弄した次女・初。


浅井三姉妹について知ったのは、30歳・無職になってからです。
数年前からたまにテレビでしている、戦国に生きた女の特集を観たからです。


(戦国に生きた女・浅井三姉妹の運命、歴史ってドラマチックだなぁ)と思いました。

市は落城のさい、三姉妹に「浅井の血を絶やしてはならない」と言ったそうです。
私の血は、私で終えるのだろうな。女に相手にされない喪男だから。
ま、私のような駄目男の血など、残してもしょうがないが・・・。



浅井3姉妹の人生を思うと、
まるで、歴史の神が存在し、操られたように思います。
織田信長も、明智光秀の裏切りも、農民あがりの豊臣秀吉も、最後に勝った徳川家康も、
【ナポレオンも、ヒットラーも、リンカーン大統領も、リンカーンを暗殺したブースという男も、シーザーも、シーザー暗殺したブルータスも、キリストも】
歴史に彩りをつけるために、彼らは歴史の神に操られていたように思います。

この意見は、【星新一の手紙】に書かれてる内容であり、私は共感しました。


【「だが、歴史の神がなんでそんなことを・・・」
「いろどりをつけるためではないでしょうか。そうでなかったら、歴史もああドラマチックになるわけがない。考えれば考えるほど、じつにうまくできている。
この、もともと平凡きわまる人間たちには、とても描きあげることのできない絵巻物ですよ・・・」
ここで暗殺されることは、筋書きなのだろう。はなばなしい死が必要なのだ。自分のためであり、社会のためであり、将来において歴史を読む人々のためなのだ。】


手紙の内容を簡単に言えば、

ーーーーーーーー

ある男が、絶え間ない努力によって、政府のお偉いさんになったが、
それは、【誰からかわからない手紙】によるものだった。どう人生を歩むべきかが、書かれた手紙だった。
初めて手紙を受け取ったのは、大学を選ぶ時。「自分のレベルより、遥に上の大学を受けろ」と書いてあった。男は、従わなければならない気がして、猛勉強をし、結果合格した。
「手紙のことは誰にも言うな。焼き捨てろ」と書いてあった。なぜだか、手紙の通りの人生を歩んだ。
「どの会社に入社すべきか!」「どの女と結婚すべきか?」「政治家を目指せ!」など書かれていた。

ところが、ある日、男は政策に迷った。男は、「どうするべきなのか?」を指示する手紙を待っていた。
すると、青年が来た。青年は男を暗殺するためだった。暗殺する理由は、【誰からかわからない手紙】によるものだった。男を殺すように書かれていた。青年も、手紙の通りの人生を歩んでいた。
子供の頃から、窃盗など犯罪を指示する手紙を受け取り、それに従って生きていた。

青年は、手紙に「手紙のことは誰にもいうな」と書いてあったが、これから殺す男に(死ぬからいいだろう)と思い、手紙のことを話した。
男は、(自分と同じだ)と思った。
青年は「手紙の送り主は、歴史の神だと思う」と言った。「歴史をドラマチックにするためだ」と言った。
男は、(俺の後を次ぐ者に、今頃、手紙が出現してるのだろう)と思った。
そして男は撃たれた。

シーザーの「ブルータスお前もか」と言う最後の言葉は、(シーザーも、誰からかわからない手紙の通りに人生を歩んだ。そして、「ブルータス、お前も誰からかわかない手紙を受け取っていて、その手紙に自分を殺すように書かれてたのか」と言いたかったのだ)と、

処刑されるキリストも、誰からかわからない手紙の通りの人生を歩んだ。キリストの最後の言葉「わが神、わが神、どうしてわれを見捨てたのか」の、どうして神がキリストを見捨てたのかは、(歴史を彩るため、華々しい死が必要なためだ)と、

思いながら死んだ。

ーーーーーーーー



 ■ 2011/01/09 (日) 私の成人の日の1日


平成6年12月、
私は20歳になりました。大学1年でした。

冬休み家に帰郷した時、
「アルファー、成人式はどうするんだ?」と言ったので、
「大学の後期試験期間だから、勉強するよ。だから帰れない」と私は言った。

成人式の日の朝4時頃、私は、気分が悪くて、目が覚めた。
どんどん気分が悪くなった。体がガタガタ震え、どんどん息苦しくなった。
午前8時頃、家に電話した。「体がきつい。駄目だ。救急車呼んでもいいかねえ」と電話で母に言った。

昼頃、母が電気式毛布を買って、来た。

私は、1日中寝てた。
それが私の成人式の日の1日である。

翌日、病院に行った。運良く、その日試験は無かった。(私って、悪運強いなあ)と思った。
インフルエンザだった。




 ■ 2011/01/07 (金) 雪が降ったら来れないでしょ


今日、雪が降りました。
私の地域では、めったに降らないのですが、私には問題です。
なぜなら、もし働いてても、雪が降ると出勤出来ないからです。


私は、10年前と1ヶ月前の2000年12月に、ポリテクセンター溶接科を卒業しました。同時にその月から、溶接の仕事を探し始めました。

車で40分ぐらいの所にある溶接求人を出している工場を3つ見つけ、面接をしましたが、
「ポリテクセンターで溶接を習っただけの人は雇えない」
「後日、知らせます」「残念ながら、ご縁が無かった」
「遠いところ通わせて申し訳ないので」、「大丈夫です」私、「雪が降ったら来れないでしょ」
と言われ、駄目でした。

2001年1月の今ぐらいに、日研総業に行きました。
「訓練校で溶接に興味を持ちました。溶接の仕事を希望します」と言うと、「現場経験の無い人は駄目です」とのこと。
「だったら、寮あり。日勤のみを希望します」と言うと、「県外にアルミサッシの仕事があります」とのこと。
「お願いします」と言い私が帰ったが、後日、「残念ながら駄目でした」と電話が来ました。
ちなみに、そのアルミサッシの工場は、ポリテクセンターに入学する前、日総工産で紹介された会社と同じ会社だったのです。しかも、「残念ながら駄目でした」と、後日電話が来ました。
全く同じ結果でした。


ポリテクセンター入学以前にパートで勤めてたレストランは、車で30分くらいでしたが、そこは雪が降っても問題ありませんでした。
なぜなら、ゴルフ場のレストランだったからです。雪が降る=臨時休業だから。
私はレストランのパートは、雪のことは考えず、面接に行きました。受かりました。


2001年1月2週目の木曜日、80キロ先の職安で、
【県外・溶接未経験者可・当派遣研修センターで研修あり・寮あり】の求人を見つけました。クリスタルグループです。
翌日の金曜日、隣の県に行き、面接を受け、受かりました。

3日後の月曜日、私は、実家を旅立ちました。
その日は、久々の大雪でした。朝早く、車で出ました。交差点で大型トラックがスリップしていました。
新幹線の駅に着き、私は新幹線に乗りました。両親が喜んで手を振ってました。
私は10年前、(とりあえず、まずは溶接の経験をつむことだ。そうすれば、派遣だろうが正社員だろうが、何処かの工場で溶接の職につける)と思ってました。
まさか、今、無職になってるとは、新幹線で研修センターに向かってる時、夢にも思いませんでした。

2週間、研修を受け、2001年2月に工場に行きました。
それ以降〜現在は、プロフィールに書き込んでいます。



「雪が降ったら来れないでしょ」との面接での言葉。
雪が降るのを見るたび、職について考えます。(やっぱり、寮あり・夜勤ありの派遣しかないかなぁ)と・・・。



 ■ 2011/01/04 (火) 中学までの元旦〜1月4日


中学までの正月は、父・母の実家で過ごしていました。

元旦、父の実家へ行き、ほとんどずっと弟とファミコンで遊んでいました。
ファミコンは、テレビのある居間にありました。
弟と2人で遊んでました。
そこには、従兄妹2人(妹と私は同じ年)いましたが、2人とはほとんど遊んでません。
私たちがいるとき、従兄妹は、ほとんど自分の部屋にいました。

夜は、10畳の部屋で、家族4人で寝てました。
今、私は部屋に他の人がいると、眠れません。寝れても熟睡出来ません。


1月2日、母の実家へ行き、ファミコン・トランプ・風船・漫画(筋肉マン)を読む、とかで遊んでました。
ファミコンは、私独りで遊んでました。その時、弟は、弟と同じ年の従弟2人と遊んでました。
いとこが計9人(男3人・女6人)いて、小学校の頃は、トランプや風船(ビーチバレーのようなことをする)で遊んでました。

ただ、年下の女のいとこの内、年齢の低い3人の顔の記憶はありません。
1年前、その内の1人が結婚式を挙げ、2人が結婚式に参加し、カメラの画像で顔を拝見しました。初めて見たと言っても過言ではありません。
背が高かった。165p前後父達より高かった。
しかし、その画像を、父は写真にせず、消しました。
来月には、その内のまた1人結婚式を挙げます。年賀状(両親に届いた年賀状で、私ではありません)を見ると、名字はもう変わってました。

私1人、幸せから遠のき寂しい。

夜は、10畳の部屋でいとこ7人で寝てました。残りの2人の従兄妹は、そこに住んでいて自分の部屋でねていました。
「懐かしや。あ〜懐かしや、懐かしや」と思わず一句唄ってしまいました。

心からあの頃に戻りたいと思ってるのは、父方・母方全員のいとこの中で私だけだろう。



1月4日、家に戻ってました。
家に着くのは夜でした。車です。私と弟は後ろの席でした。弟は、弟が小学校6年まで、私を膝枕にして寝てました。2度と戻らない良い想い出です。



 ■ 2011/01/03 (月) 勝ち組たちと、負け組である私の正月


テレビを観ていると、
私と同じ世代の勝ち組(結婚し、幼い子供がいる家族)たちが笑いながら、
車や新幹線で、田舎から都会に戻っていく。飛行機で、海外から戻ってくる
模様が映っている。

負け組の私は、家でテレビ観賞と・ウオーキングで正月を意味もなく過ごしました。

勝ち組を観てると、負け組の私は負けた人生を送っているのを実感します。正月が辛い。もの悲しい。



両親に、1番年齢の低い従妹から年賀状が来ました。
【来月、横浜で結婚式を挙げるので、ぜひ来てください】と。

結婚・・・中学のフォークダンスが女性と触れた最後である、負け組・喪男の私には、絶対に叶うことのない夢。

現世での幸せはもう諦めました。諦めたくないけど、幸せになれないものは、なれない。
来世では、結婚したい。 



 ■ 2011/01/02 (日) 昔の正月の過ごし方


元旦に父方の実家に行った。
父方のいとこは5人。
父方の実家には兄妹二人がいた。妹の方は、私と同じ年
父方の実家の隣の家には従妹の姉妹二人がいた。私より年上。この二人とはほとんど会話していない。
遠く離れた地に、私と同じ年のいとこ(女)がいるが、小学校6年の時しか会っていない。その時、私は風邪をひいていた。正月に風邪をひいた。ずっと寝ていた。

2日、車で15分で、母方の実家に行く。
母方のいとこは8人いる。
4日、家に帰る。

これが、私が中学までの正月の過ごし方だった。



2日後、両親が父方の実家に行くらしい。
お年玉の話をしている。私のいとこの子供にあげるらしい。
私と同じ年のいとこ(女)の子供はもう中学生であると、今日の夕食の両親の会話で初めて知った。

父方のいとこは皆、結婚している。子供がいる。私だけ、独身喪男。悲しい。



 ■ 2011/01/02 (日) 相棒「聖戦」を観る


元旦の午後9時から、相棒「聖戦」を観ました。

10年前の雨が降る夜、一人の男がバイクで、男をひき殺した。
バイクの男の血液からコカインが検出させた。

8年後、ひき殺された男の母親は、バイト先のレストランで、息子を殺した男と再会。
男は、妻と子供(男の実の子ではないが)と3人で来ていた。仲良くしていた。
母親は、男を見た瞬間思い出し、飲み物をこぼし、女の子にかかかる。
男は、「火傷するじゃないか」と文句を言う。8年前、自分が殺した男の母親だとは、気づかなかった。2人は、8年前、病院で会っている。

母親は、それまで生きる意味も無くただ生きてただけだが、男を殺す決心をする。
2年経ち、爆発物の作り方となどを勉強し、男を爆死させる。

そして、コカインを売った男に罪をなすりつける。その男は、かつて爆弾を作ろうとした経歴があった。
警視庁は、コカインを売った男を捕まえる。
コカインを売った男の母親は死にかけていたが、警察は母親には会わせなかった。
母と息子が会うなく母親は死んだ。息子が殺人犯だと思いこんで。

男の妻が、復讐を考える。
右京は「復讐の連鎖は止めなければならない」と言う。

右京と神戸が母親を逮捕しようと来たとき、母親が自爆しようする。
そこに妻が来て、母親に手錠をかける。妻も手錠をかけていた。つまり、二人は手錠でつながれている。

妻は、母親に文句を言う。
母親は「息子を殺した人が幸せになったらいけないのよ」「4人で死のう」と言うが、妻のお腹に赤ん坊がいたことがわかると、母親は自爆を止める。

コカインを売った男は釈放され墓参りに行く。

そんな内容でした。



私は、母親の言う通りだと思いました。
麻薬(アルコールも含む)を服用し車(バイクも含む)を運転し、あげく人をひき殺した奴に、結婚する資格は無い。
一生、後悔の中で生きていかなければならない。結婚など考えてはいけない。幸せになってはいけない。
結婚をした時点で、罪を忘れた・罪の償いを止めたという事。
現に、バイクの男は、殺した男の母親のことをすっかり忘れていたのだから。結婚する前、そのことを相手の女に告白したが、今では幸せな生活を送ってたためか、すっかり忘れていた。
万死に値すると思います。



ただ、今回(相棒「聖戦」)の場合は、雨の夜の視界はどうだったのか?
ひき殺された母親の息子が飛び出したのかどうか?
スピードは?ひき殺された男は死んだのだから、スピードは出てたのだろうが・・・
そこには、ふれてませんでした。
もし、男が飛び出したのであれば、ひき殺した男の罪は相殺されます。

私も車を運転します。
雨の夜の視界は最悪です。ワイパーをかけてても、人は見えません。
私は1度、雨の夜に、自転車に乗った人をひき殺しかけた事があります。
運良く、自転車のサドルの反射板が光り、自転車の存在に気づき、事故にはなりませんでした。
私が言いたいのは、【雨の夜は、反射板しか見えない】事。
それほど、視界は悪いのだ。

雨の夜、自転車に乗ったこともあります。視界はさらに最悪でした。
バイクは、スピードが出てるから、もっと視界は酷いのかな?
だとしたら、飛び出した男も悪い。
ただ、スピードを出してるバイクも悪い。

雨の夜は、絶対スピードを出すべきではありません。
私は、雨の夜は、時速50キロしか出しません。視界が悪いからです。時速50キロでも恐ろしい。
他のドライバーはみんな、そんな私を後ろから煽ります。視界の悪い雨の夜でも、時速60キロ以上で走ります。
最悪です。



 ■ 2011/01/01 (土) 全ての虐めは徒競走・ドッジボールに通ず


テレビ番組、もっと厳しくしろというネタで、
子供が「徒競走に順位をつけろ」と言ってました。
「一昔前は、順位をつけなかった」とか「順位をつけることで、今度はもっと頑張ることや、負けることの悔しさを学ぶ」とか言ってました。

私は、めっちゃ腹が立ちました。
運動音痴にとって、何より嫌な事は、徒競走。
「頑張っても、足は速くならないんだよ!!!
5段階評価で、1の人はどう頑張っても1にしかならないんだよ!!!5にはならないんだよ!!!」
と心の中で叫びました。
ただ、マラソンは、一生懸命努力すれば1の人でも4にはなると思います。


徒競走とは、学校公認の虐めである。
ドッジボールもだな。
【全ての虐めは徒競走とドッジボールに通ず】のである。

全ての虐めの根元は、徒競走にあります。順位を決めることにあります。
足の遅い人は、徒競走が嫌だから(運動音痴だから)、学校が嫌な所になります。なかには虐めの対象になったり、登校拒否になります。(足が遅くても、力のある人は別だけど・・・)
ドッジボールも同じです。


徒競走に順位をつけるのに賛成というのは、
足の遅い人が悪い=虐められる人が悪いというのと同じことである。
頑張っても報われない悔しさ。これがわからない人は、私にとって、最も最悪な人間である。


徒競走に順位をつけるのだけでなく、徒競走そのものをやめるべきです。
せめて、足の遅い人(半分以下)には、徒競走をさせないようにするべきです。彼らには徒競走ではなく、障害物競走に出るようにすればいいと思います。それなら順位をつけても問題ありません。



 ■ 2011/01/01 (土) 100年の物語、懐かしい


去年(2日前なのに・・・)の12月30日、
BSーTBSで、2000年ドラマスペシャル『100年の物語』を、10年ぶりに見ました。

ーーーーーーー
●第1夜

時は、大正時代。
名門の家に生まれた戸倉彩は何不自由無く暮らしてたが、
ある日、川に落ち、戸倉家の小作人だった八代公太に助けられ、恋に落ちる。

しかし、戸倉家は破産寸前で、戸倉家のために、彩は仕方なく、成り上がった横山家に嫁に行く。
公太は、彩の絵を持って行き、嫁に行く彩を見て、捨てようとするが捨てられなかった。
でも、彩は、初夜、横山平吉と関係を持つのを拒み、夫婦の仲は最悪になる。姑との関係も最悪。
彩は、横山家を逃げ出す。

彩は、公太と暮らすようになる(関係は持っていない)が、平吉が連れ戻し、彩と平吉は、無理矢理関係を持ち彩に子供が出来る。
しかし、平吉は(公太との子供)だと思いこみ、彩は子供を堕胎する。
そのため、1年間禁固刑に。

1年後、出所した彩の元に、公太と平吉が訪れる。
平吉は、「母が死んだこと・事業が失敗したこと・そして、彩を心から愛していること」を言い、彩は平吉と共に、満州に行く。

その後、2人の子供が産まれ幸せに暮らすが、戦争で、平吉は戦死し、
彩と2人の子供は、日本に戻るが、彩は空襲で死亡する。
公太も戦死している。


●第2夜

時は、戦後。
彩の子供・横山純子は、学校の先生をしていた。
ある日、日系アメリカ人でGHQにいるヒロセカズオと知り合う。
純子とカズオは、次第に愛しあう。

純子が母・彩のお骨を、彩の実家の寺に持っていく。
そこで、公太が描いた彩の絵を見せられ、母・彩と、父・平吉が、満州へ行くまでの暮らしを聞く。
墓参りをしてるとき、カズオが来て、その夜、関係を持つ。

ところが、それからすぐ、カズオと連絡が取れなくなった。
カズオは、朝鮮に行っていた。朝鮮戦争が勃発したから。

カズオは日本に戻り、純子にプロポーズをし、朝鮮に行き、戦死する。
純子のお腹には、カズオとの子供がいた。


●第3夜

時は、2000年。
純子の孫の千代は、雑誌の編集で働いていた。
純子の一周忌に、千代は来ていた。純子は、その後、他の男と結婚し、何人かの子供を産んで、暮らしてたようだ。
純子の娘で千代の母は、千代が子供の時、千代を捨て男と駆け落ちしアメリカに行っていた。
千代は、純子に育てられたみたい。

一周忌の帰りに、千代が橋を渡っている姿を、公太の曾孫・八代進次は見る。
進次は(どこかで見た顔だな)と思い、千代をつける。
どこかで見た顔の正体は、進次の持っていた【ある女性を描いた絵】である。
その絵のある女性とは、横山(旧姓・戸倉)彩で、
描いた人は、八代公太(進次の曾祖父)である。

千代は、進次に声をかけ、「妊娠中絶手術の書類にサインして」と頼むが、進次は断る。
千代のお腹の子供の男は既婚者のエリート社員で、千代はさほど好きではないようで、男に「別れましょう」と言う。
千代の母は千代に電話をし「千代に会いに行きたい」と言ったが、
来るはずだった日に、「病気で来られない」との手紙を送って来た。
千代は進次とアメリカに行く。

千代の母は死んでいた。
「好きだった男とは片思いのまま、千代の実父と結婚し千代が産まれ、それなりに幸せに暮らしてたが、片思いのままだった男と再会し、アメリカに駆け落ちしたこと。
その後、その男とはすぐに別れ、別の男と一緒に暮らし始めた」ことなどの手紙を書いていた。

進次は、頭が弱いが、ボクサーとなった。連戦連勝だったが、
喧嘩をし、相手に刃物で足を刺され、足を悪くし、リングに上がれなくなった。
婚約者がいたが、その女は、他に男を作り、
進次は、その男を殴りまくり、ベッドから上がれ無くし、傷害で逮捕され、仮出所したばかりだった。

進次は、監獄に戻り、出所し、溶接の仕事をしていた。
そこに千代が訪れた。
千代は、「進次も持ってる絵の人物は自分の曾祖母・彩で、描いた人は進次の曾祖父・公太であること。2人は愛し合ってたが、別れなければならなかったことなど」を、住職から聞いたと進次に話す。
ーーーーーー

こんな話です。

10年ぶりに見ました。
あれから、10年、私はろくな人生を送ってない。
10年前は、25歳で、ポリテクセンターに通ってました。
あの頃は、(溶接工になろう・出来れば彼女が出来たら嬉しいなぁ)と、人生を楽しみにしててのに、現実は・・・(プロフィール参照)。

私は、(純子がカズオが死んだ後の、高度経済成長の昭和の日本、そして〜1999年まで、どんな人生を送ってきたのか?)知りたいと思いました。
私は、なぜか、寅さんを思い出した。



ところで、今日は元旦だけど、まったくそんな気がしません。
昨日の、大晦日も夜10時には寝ました。

大学卒業するまでは、元旦楽しみだったなぁ。









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